こんにちは

私はゲォと申します。

私はピブンソンクラームラチャパット大学に勉強しています。

今日はワットアランイック紹介します。

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お寺の名前はワットアランイックと言いますが、

ワットアランイックはワットヤイと同じスコータイ時代に建立されたと信じられています。

ワットアランイックはピサヌロークの古い寺院です。

1483年に作成されました。

このお寺の中に古い仏塔(チェディー)があります。

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#これはプラパタン仏塔(チェディープラパタン)です。#

**このお寺の特徴**

1. 仏塔周辺は運河に囲まれています。

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2. 本堂(ウボォーソッ)の遺跡、スコータイ時代の遺跡と複製された仏像です。

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3. ライ仏塔(チェディーライ)

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ピサヌロ-クへ来て下さい happy01

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お持ちしています

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サワディーカップ

今日はラチャパット大学では期末テストだそうでして、学生さんたちはお休みです。
そこで登場、ピンチヒッターのメオダムです。

Img_0941 最近、毎朝8時ころになるとピサヌローク市内上空を飛ぶ飛行機があります。

双発のプロペラ機です。

Img_3590 ピサヌロークの空港は市内からだいたい5キロくらいしか離れていないので、滑走路から離陸した飛行機は、低空のままピサヌローク市街の上空で旋回していきます。

ピサヌローク空港にはLCCと呼ばれる格安航空会社が3社乗り入れており、国内線だけですが毎日7~8便ほどバンコクとを結んでいます。

ただし、この双発のプロペラ機は、そうした民間機ではなく、軍の飛行機のようです。
下から見上げているので、どんな塗装かもよくわかりませんが、翼の形から随分と旧式の飛行機のようです。

Img_3588 写真に撮って、さっそくネットで調べたら、1990年から生産されているBT-67という飛行機らしいことが判明。

でも、30年前の飛行機にしては、翼の形や、丸みを帯びた尾翼など、後輪が出っぱなしになっている構造など、随分と時代遅れのスタイルをしている。

さらにこのBT-67という飛行機を調べたら、DC-3型飛行機を改造し、エンジンやプロペラを乗せ換えたものであるということが判明。
道理で時代遅れのスタイルなわけで、DC-3と言ったら、1930年代の飛行機。
もう、80年以上も前の飛行機が、エンジンとか新しくなったとはいえ、こうして飛んでいることに驚いてしまう。

さて、で、全然トゥクトゥクの話になっていないので、そろそろピサヌロークのトゥクトゥクのお話をしましょう。

ピサヌローク市内の公共交通機関としては、一応バスがあります。
空港と市内との間も飛行機の発着に合わせて、エアコン付きの新型バスが一人30バーツの運賃で運行しています。また、エアコンのないポンコツバスも市内を走り、ソンテウと呼ばれる小型トラック改造のバスもあります。
タイらしい乗り物としてトゥクトゥクもありますし、小型乗用車のメータータクシーやバイクタクシーもあります。
変わったところでは、サムローと呼ばれる人力の自転車改造、三輪自転車タクシー(輪タク)も現役です。Img_3543[人力のタクシー、サムローと呼ばれます]

おい、トゥクトゥクはどうしたかって、ジャイ・イェン・イェン(タイ語で落ち着いて)。
久々にブログを書けるチャンスなんですから、能書き書かせて下さいよ。

で、ピサヌロークのトゥクトゥクはバンコクのトゥクトゥクとは少し形が違います。
まず、後部の客席は、向かい合わせに座れるようになっており、詰めれば5~6人くらい乗れてしまいます。

運転席にはドアがあり、お望みなら助手席に座ることだってできなくありません。
バンコクのトゥクトゥクは、運転席がまるでバイクのようで、運転手はバイクにまたがったようなスタイルで運転するのに対して、ピサヌロークのトゥクトゥクは、今の軽トラックと似た感じです。

Img_3582[ピサヌロークのトゥクトゥクは密閉キャブスタイル]

そして、塗装がカラフルなんです。
バンコクのトゥクトゥクはキンキラだったり、派手な色遣いして、ちょっとヤンキーぽいですが、ピサヌロークは主にパステル系の色合いで単色での塗装です。
そして、一台一台が違った色で塗られているので、駅前なんかで客待ちしているトゥクトゥクが並んでいると、まるでクレヨンみたいで、とても可愛らしいんです。

Img_3584[単色塗装だけど、一台一台みんな色違い]

もともとタイに入ってきたトゥクトゥクは、1960年代に時の首相、サリット元帥が、バンコク市内にその当時たくさん走っていたサムロー(三輪の人力タクシー)が目障りだとして、禁止してしまい、そのサムローに代わるものとして、当時の日本で大流行中の軽オート三輪、ダイハツ製ミゼットを大量に持ち込んだことが始まりらしいです。
昭和30年代の日本ではコメディアン大村崑さんのミゼットのテレビCMが大流行していたそうです。
これはミゼットの初期型というもので、CMのキャッチは「二輪車並みの値段!」というものでした。
構造も、バイクのようなハンドルで、アクセルもハンドルに付いているといったものです。

今バンコクを走っているトゥクトゥクも基本的にはその構造は変わっていませんが、もともとのダイハツ・ミゼットではなく、タイで作られた車体がほとんどのようです。

それに対して、ピサヌロークのトゥクトゥクは、たぶん導入された時期が遅かったからかもしれませんが、同じダイハツ製のオート三輪、ミゼットではありますが、後期型と呼ばれる車種で、1972年まで製造されていた車です。
こちらもコメディー風のテレビCMが話題を呼んだそうですが、CMのキャッチは「丸ハンドル、二人乗り」というもので、若い男女が乗っている画像でした。
最初がバイク並みであったのに対して、この後期型の売りは「乗用車感覚」。
スタイルも流線型を取り入れて、スッキリしています。

Img_3585[運転席は今の軽トラックとそっくりです]

この後期型ミゼットがピサヌロークではまだまだ随所にダイハツのオリジナルを残したままで頑張っています。
製造からすでに50~60年になろうとしていますが、ツーサイクル・エンジンを響かせながら、1970年代の街並みが残るピサヌロークの旧市街を健気に走り回っているのは、実に微笑ましい光景です。

バンコクのトゥクトゥクがもうほとんど観光客相手の乗り物になっているのと対照的に、ピサヌロークのトゥクトゥクは庶民の足で、最低運賃は60バーツからとなっています。
メーター制ではなく、乗車するたびに料金交渉が必要ですが、おおよその料金相場はトゥクトゥク乗り場に掲示されています。

Img_3368[ピサヌローク駅前からのトゥクトゥク料金表 スコタイまで1000バーツ]

また、ピサヌロークの町はずれにあるバスターミナルからは乗り合いのトゥクトゥクも運行しており、市内中心部まで一人30バーツで運んでくれます。Img_3581[客席は向かい合わせなので、5~6人くらい乗れるかも]

とにかく古い車で、オンボロもありますが、まるで小鳥のように可愛らしいトゥクトゥク、ピサヌロークへ来られたら、是非一度体験乗車されてみてください。
気分はすっかり映画「三丁目の夕日」か「稲村ジェーン」の世界です。

Img_0959[ピサヌローク空港ターミナル横にはジャンボジェット、エンジンも外されて飛べません]

H.I.S. 1219大安吉日オープンします。lovely

typhoon こんにちは、typhoon

私たちはケオパオです。

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ピブンソンクラームラチャパット大学の学生です。 

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ピサヌロークの中心に記念碑があり、

この記念碑はきれいだし、広いし、それに立派です。

これはトンブリー王朝時代、ピサヌロークの歴史に関する記念碑で、

それはプラボロムラーチャーの記念碑です。
ボロムラーチャーは偉大な王様のことです。

それで今日はプラボロムラーチャーの記念碑を紹介します。

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トンブリー王朝時代(1775)にチャクリー将軍はミャンマーの攻撃から

ピサヌロークを守ることを担当しました。

チャクリー将軍は、後にプッタヨートファーチュラーローク王、あるいはラーマ 1 世として知られています。

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チャクリ将軍とタイ軍の彫刻はプラボロムラーチャーの記念碑の左側です。

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対峙するミャンマーの将軍アセーウンギーと軍彫刻はプラボロムラーチャーの記念碑の右側です。

この戦いで、チャクリー将軍は4か月に及ぶ攻防戦を経てピサヌロークを奪還しました。
チャクリー将軍はミャンマーの将軍アセーウンギーと会見し、その際、アセーウンギー将軍はチャクリー将軍が将来国王になるであろうと予言しました。
そして、この戦いの4年後、アセーウンギー将軍の予言通り、1782年にチャクリー将軍はタクシン王に代わって王位に就き、現在のバンコク王朝(チャクリー王朝)を開きました。(メオダム註)

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H.I.S. バンコク支店

2018.12
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