イベント 2014.02.02
今年は、日本とスイスが国交を結んでから150周年という節目の記念すべき年にあたります。
日瑞就航通商条約締結は、150年前の1864年2月6日に調印式が行われました。

公式ロゴ


公式オープニングイベント「SWISSDAYS(スイス・デイズ)」が、その2月6日(木)から4日間、東京「六本木ヒルズ」で開催されます。入場無料でスイスのさまざまな魅力を紹介する多彩なステージプログラム、ブース展示、フードコーナー、アクティビティが予定されています。
ぜひおこしください!
スイスディズ



そして記念切手が、2月6日から郵便局で販売されます。
富士山とともにスイスの美しい景色が切手に!
欲しい~!




今年、スイスへご旅行にいらっしゃるお客様へのプレゼントはこちらのクーポンブックです。(スイス政府観光局提供)


スイスの観光地など10ヶ所の観光局、鉄道会社などから記念の品がもらえるクーポンブックで、HISのツアーでスイスにお越しのお客様にさしあげます。
合わせて小冊子「日本とスイスの150年」もプレゼント予定です。


こちらは、グリェッツィー(スイスと日本を結ぶ生活情報・交流紙)新春号
です。こちらから日本とスイスの150周年をご紹介します。

日瑞修好通商条約締結から150年

「過去を振り返りながら、未来に目を向ける機会に!」

 

今年は、1864年2月6日(旧暦の文久3年12月29日)

日瑞修好通商条約が締結されて150年目に当たる。両国の国交樹立150周年を記念して、外交レベルはもとより、民間レベルでも多彩なイベントが計画されている。國松孝次氏(元駐スイス日本国大使)や春香クリスティーンさん(タレント)など、スイスと日本に関係の深い6氏が親善大使に指名されている。

長年スイス・日本交流に携わってきたフィリップ・ニーゼル氏(在日スイス商工会議所本会頭、元愛知万博スイス館副館長)は「国交樹立150周年というお祝いは、過去を振りながら、未来に目を向ける機会です。これを念頭に、スイスと日本は、この地球の平和と繁栄に貢献するためにどのような役割を果たすことができるのでしょうか」(日本・スイス国交樹立150周年記念サイトより)と問題提起している。日本人とスイス人の友好を一層深めながら、しっかり考える一年になれば素晴らしい。

 

日本に行った最初のスイス人たち

フィリップ・ダレー氏(ヌーシャテル民族誌学博物館)は文化人類学の視点から、日本と接触したスイス人について調べ、2004年に論文を発表している。ダレー氏の研究によると、初めて日本に足を踏み入れたと思われるスイス人はエリ・リッポン(生没年末詳)で、オランダ東インド会社に仕える傭兵として1623年に長崎を訪れている。フリブールの農家から発見された資料で分かった。二人目は、ハンス・ハインリッヒ・シュティーガーいう名の人物でグラルス出身。オランダ東インド会社の船医としてアジアで仕え、1666年に日本で死亡したとシュヴァンデンの教会記録に書き残されている。

1804年には、ロシア探検隊(クルーゼンシュテル隊長)の天文学者としてスイス人、ヨハン・カスパール・ホルナー(1774~1834年)が日本にやってくる。ロシア探検隊については史料としてもよく知られていたが、2004年になってホルナーが描いた長崎や出島の水彩画やスケッチなど貴重なオリジナル資料がチューリッヒ大学附民族博物館に埋もれていたのを、当時研究員だったフィリップ・ダレー氏が発見し、注目を集めた。翌年2005年には愛知万博スイス館の正面にホルナーの絵が使われ、スイスと日本の交流の一ページが祝賀されたことは記憶に新しい。

 

Aimè Humbert 率いる日本派遣使節団

それから更に60年後、エア・アンベール率いる日本派遣使節が日本に行き、日瑞修好通商条約を締結し、両国の外交関係が生まれた。その契機は1858年の日米修好通商条約の締結であった。1859年にはイギリス、フランス、オランダ、ロシアが徳川幕府と同様の条件を結んだ。このニュースはスイスにもたらされ、輸出先の活路を求めていたスイス時計産業と東スイスの繊維製造業が中心になって、同年プロシャ出身のルドルフ・リンダウを日本に派遣。リンダウは交渉に失敗し、幕府から「今後条約締結が可能になったときには、少なくとも即座に情報を伝える」という約束の書簡を手に入れるに留まった。

連邦政府は、その間にも日本との貿易を推進することの是非が連邦議会で激しき議論され、遂に1861年4月エメ・アンベールが連邦内閣から日本派遣使節団長に任命される。アンベールを代表とする6人の使節団は1863年4月27日オランダ軍艦で横浜港に入港。しかし、交渉は容易に進まず、ようやく約10ヵ月後の1864年2月6日に締結・調印された。交渉が届滞っていた10ヵ月の間、エア・アンベールは精力的に日本を旅し、日本の風俗習慣から社会制度、歴史、地理、政治機関、宗教などを細かく調査し、画像資料を多く入手した。スイスに帰還後、それを元に『Le Japon Illustrè』(幕末日本図絵)をパリで出版し、ヨーロッパの日本に関する知見を飛躍的に高める役割を果たした。

日本派遣使節団のメンバーの中には、日本に留まり、商売を始めた者もいた。司馬遼太郎の『峠』(長岡藩の河合継之助を主人公にした小説)に登場するスイス人、ジェームス・ファブル=ブラントもその一人だ。

平和と人権を尊重した関係を

長いスイスと日本の交流の歴史を通じて、今日両国の関係は個人レベルから外交レベルまで非常に活発で友好的だ。2011年3月11日の東日本大震災後の際にはスイスはいち早く被災地に救助隊を派遣したばかりでなく、大規模な寄付・支援活動を行ってきた。そうしたスイス人の日本に対する思いは、日本列島を北から南まで徒歩旅行して日本人に大きな勇気を与えたトーマス・コーラさんの行動に象徴されているといえる。

平和と基本的人権を高らかに謳う憲法を掲げる日本、建国以来永世中立を掲げつづけるスイス、この二つの国と国民の友好関係は150年の節目を迎え、新しい時代を迎えようとしている。日本人とスイス人が、未来を見据えながら、ともに手を携えて平和と人権を擁護し発展させていく世界のリーダーになって欲しいものだ。

日瑞修好通商条約が締結されて1864年2月6日に因んで、日本では2月6日~9日の4日間、六本木ヒルズアリーナでSwiss Daysが行われる。そしてヌーシャテル民族誌学博物館では、2月6日公式記念式典、2月7日には一般向け記念式典が予定されている。

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