①に引き続き 週末パッケージ「ブカレストの旅」 体験記その②です。
前置きとして、ルーマニアとドイツは時差が1時間あります。
前日夜に6時45分で目覚ましをかけて就寝した美女二人
美女という表記についてのクレームは受け付けていません。
妙に外が明るいなぁでもまだ目覚まし鳴らないなぁとまどろみながら自分の時計を見てみると…
アル「…聖さん。」
聖さん「…おはよー。」
アル「…おはようございます。…私の時計が確かならば、今7時25分です。」
聖さん「えぇ?!(時計確認)…あ、時差合わせるの忘れてた」
というわけで、急いで準備をして食堂へ行き、朝食を食べました。
食べないと血糖値が下がり過ぎて後で体調が悪くなるので。
レセプションの前を通るとホテルの人が一言。
「誰かがあなたたちを待ってるわよ。」
ええええええええ!!ご、ごめんなさい!!ダンさん!!
朝食後、ホテルを出るとすぐそこにダンさんが待っていて下さいました。
(この時点で7時55分)
遅刻はしていないですが、ギリギリです。
ダンさんに謝ったところでルーマニア1日観光へ出発!
目指すはシナイア(Sinaia)
ルーマニアの中央に位置するカルパチア山脈の中腹にあります。
カルパチアの真珠とも呼ばれていて、夏は避暑地、冬はスキーリゾートとして観光地化されています。
ブカレストからは車で1時間半ほど。
*ひまわりも特産品だそうです。
工場
…と、風景が次々と変わりますので飽きません。
あと、牛も見ました。でかいです。
因みに途中工事中の所が多く、ちょっとガタガタするところも多かったです。
乗り物酔いをする方は酔い止めを飲んでおいた方が良さそうです。
シナイア到着後、涼しい山道を10分程歩くと
ペレシュ城(Castelui Peleş)とご対面。
ををー!正に夏の離宮って感じでキレイー!
でも…何か…懐かしい…
と思ったら、ルーマニア王国初代国王カロル1世がドイツ系の方(ナポレオン3世の親戚)だそうです。
ペレシュ城はゴシックとドイツ・ルネッサンスが基調。
道理で懐かしい感じがするわけです。
きれいだな~!とペレシュ城を見ながら歩いていると道端の木に
熊注意。
ええええええええええええええええ
熊が出るんですか
ダンさん
「まぁ、こういう人がいる所にはあまり出ませんが、山の中なので…」
ですよねー。日本のザ★避暑地軽井沢にも熊が出るぐらいですから、こんな環境のいい避暑地に熊が居ないわけないですよねー。
山道を登りきってペレシュ城へ。
写真撮影は30LEI(約8ユーロ/約1000円)
カロル1世が1875年に建てたペレシュ城は、各部屋には彼が集めた絵画や彫刻などが飾られています。
正面入り口
エントランス天井
シャンデリアなどはフランスから輸入したものだそうです。
ブカレストの国立軍事博物館の次に多くの武器が展示されているそうです。
カロル1世の書斎。
奥のソファでは友人と語り合い、手前の燭台の置かれた机の前では立って諸侯と会議したそうです。
話し合いを早く終わらせるためだそうです。
頭いい。
この部屋の中に隠し扉があります…
ここです。
隠し扉は自分の身を守る為
ではなく、友人を驚かせる為に作ったそうです。
意外とお茶目。
ヴェネツィア風の部屋
天井画が鏡に映ってうまく見えるようになっています。
勿論ガラスやシャンデリアはヴェネツィアングラスです。
この廊下は奥行きがあるように見えるように鏡張りになっています。
ドイツ風の部屋。
食器は勿論マイセン
なんと専用の劇場もあります。
この絵画はグスタフ・クリムトだそうです。
言われてみれば確かに!
ここにはフランツ・ヨーゼフ1世とその妻エリーザベトが訪れたことがあるそうです。
一般公開はされていませんが、二人専用の部屋もあるそうです。
1時間ほど見学して、来た道を下ります。
その途中で聖さんがお菓子をゲッツ(σ・∀・)σして来て下さいました。
私が前日に「エクレア食べたい」とボソッと言ったのを覚えていて、売っているのを見かけたからだそうです。
ありがとうございます
左がエクレア、右が…?
中身は生クリームですが、ちょうどいい甘さで美味しかったです。
エクレアの中身はチョコカスタードでした。こちらも美味しゅうございました。
山道を下って次はシナイア僧院(Mănăstirea Sinaia)
17世紀にワラキア公カンタクジノがここを訪れたのを記念して造られた僧院です。
聖書に登場するシナイ山に因んでこの名前が付けられたそうです。
この街の由来にもなっています。
勿論ダンさんが色々説明してくれます
ちょいと写真写りが悪かったですね…
一番古いものだそうです。
ここから今回のメインと言っても過言ではない(と個人的に思っていた)ブラン城(Castelul Bran)へ向かいます。
ブラン城と聞いても分からない方もいらっしゃるかも…?
あの「吸血鬼ドラキュラ」の居城のモデルとなったお城です。
![H.I.S.フランクフルト支店便り](http://shops.blog.his-j.com/photos/uncategorized/2009/07/19/t02200165_0800060010214105805.jpg)
車窓からブチェジ山脈が見えます。
生憎の通り雨で不気味に見えてしまいますが…。
ブラン城までは車で…1時間半ぐらい?
すみません、実はここからブラン城までの山越えの間に車酔いでダウンしていました
起こしてもらった時には既にブラン城近くに到着していました。
ダンさん、聖さん、ご迷惑お掛けしました。。。
なんか…全然おどろおどろしくないです。天気が悪いですけど。
少し移動して別の角度から。
うん。キレイな古城です。
この時たまたま曇っていたのでなんとなく暗く見えますが。
さてさてブラン城へ!
…の前に、腹ごしらえです。
ブラン城近くのPOPASUL REGINEI(女王様の休憩所)というレストランで昼食。
美女二人には似合い過ぎる名称です。
何度も言いますが、クレームは受け付けません。
ルーマニアは夏野菜も美味しいとのことなので、
Rosii Umplute cu Vinete(トマトとペースト状の茄子のサラダ)
これがめちゃくちゃ美味しかったです
ブカレスト滞在中最大のヒットです。
トマトは新鮮で甘酸っぱくて、茄子は焼き茄子のような香ばしさがあって、醤油としょうがをかけて食べたくなりました。
これは家でも実践してみようと思います
聖さんが頼んだメニュー。
白いのはチーズ。
お肉は鶏肉でブイヨンベース。グラーシュのような料理です。
Sarmale(サルマーレ)
ルーマニア風ロールキャベツです。付け合せはママリガ。
キャベツは酢に漬けたもので、ドイツのザウアークラウトを思い出します。
中身はお米やひき肉がたっぷり
これも日本人の口に比較的合うと思います。
Papanaşi(パパナッシュ)
ドーナッツの生地にチーズが練りこんであります。
なので、もっちもち
通常パパナッシュは2個セットで出てくるそうです。
これ1つだけでもかなりお腹一杯になるので、デザートを頼むときはお腹とよく相談してからをお勧めします。
お腹も満たされたところでいよいよブラン城へ。
入場料はツアー代金に含まれていますが、撮影料は別途。
ブラン城は一人15LEI(約4ユーロ/約500円)
![H.I.S.フランクフルト支店便り](http://shops.blog.his-j.com/photos/uncategorized/2009/07/19/t02200293_0600080010214115778.jpg)
山の上のブラン城を目指して歩きます。
天気も良くなって、気持ちいいです。
ブラン城入り口。
この階段は急です。
ご注意を
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わけもなく。
むしろ「あのドラキュラ伝説は一体何なんだ!」と思うぐらいこじんまりとしていて、お城にしては随分質素でかわいらしい造りになっています。
元々ブラン城はトランシルヴァニアとワラキアを結ぶ山道の関所でした。
後にはオスマン帝国の侵攻を見張る山城的な役割も担ったそうです。
そのブラン城が「吸血鬼ドラキュラ」のモデルとなったのは、アイルランドの作家ブラム・ストーカーが偶然図書館でヴラド・ツェペシュ公の本を見つけたことから始まります。
吸血鬼ドラキュラとブラン城 *また長いです。
そもそもドラキュラのモデルとなったのはワラキア公ヴラド3世。
またの名を「ヴラド・ツェペシュ」と言います。
「ツェペシュ」は「串刺し」という意味の言葉で本名ではありません。
![H.I.S.フランクフルト支店便り](http://shops.blog.his-j.com/photos/uncategorized/2009/07/19/t02200293_0600080010214183119.jpg)
ヴラド3世は当時敵対していたオスマントルコの兵士や重罪を犯した人間を串刺しの刑にしていたそうです。
一説には2万ものトルコ兵を串刺しにした死体を野ざらしにしたそうです。これを見たトルコ軍は士気が下がり、ワラキア軍に敗北したそうです。
15世紀頃は串刺しという刑罰自体は特に珍しいものではなく、特にヴラド3世が残酷で常軌を逸していたということはありません。
ただ、貴賎を問わずこの刑を行っていたところが目立ったため、串刺し公と呼ばれるようになったそうです。
更に別名で「ドラキュラ公」というのもあります。
当時ヴラド3世自身も、ヴラド・ドラキュラ(Vlad Drăculea)と名乗っていました。
「ドラキュラ」は元々ヴラド3世の父親ドラクルから来ています。
「ドラクル」は「竜・悪魔」という意味で、「ドラキュラ」という言葉自体は「竜の息子」という意味でやはり本名ではありません。
彼の残酷なイメージと後世の吸血鬼伝説と合体し、1897年、アイルランドの作家ブラム・ストーカーによって「ドラキュラ伯爵」のモデルとなります。
一時期ブラン城に身を寄せていたこともあり、吸血鬼ドラキュラの居城=ブラン城という今日のイメージが確立されていったようです。
ヴラド3世は、現在ルーマニア独立のために戦った英雄として再評価されつつあります。
ドラキュラの居城をいうイメージを裏切らない秘密の通路もあります。
秘密の通路を上った3階は先ほどと変わらないこじんまりとした談話室。
ここからバルコニーに出ると、トルコ方面が見渡せます。
勿論ダンさんが解説してくれます。
頼りにしてます。
何となくロミジュリごっこをしたくなりました。
そんな風に思うのはアルだけだと聖さんに言われました。
降りる途中で、不思議な窓を発見。
ダンさん、ダンさん、これは何ですか?
「オスマントルコを撃退する為の窓です。昔はここから石を落としたり、煮えたぎった油を流したりしました。」
煮えたぎった油?!((((((((( ;゚Д゚))))))))
…すごい時代だったんだな、と納得。
後ろ髪を引かれながらブラン城を後にして、一路帰途へ…
と思ったら
ダンさん 「時間があるのでBraşov(ブラショフ)に寄りましょう」
本当ですか!ありがとうございます!
通常立ち寄りませんが、時間があれば立ち寄ることもあるそうです。
ブラショフはルーマニア第2の都市で、ブラン城からは車で1時間かからないぐらい。
HOLLYWOOD的なアレ。
わ、わかりやすい…!(笑)
そうだね、ここブラショフだね。
Braşov(ブラショフ)は12世紀にドイツ商人が最初に建設した街ということもあり、町並みは懐かしいドイツの雰囲気。
![H.I.S.フランクフルト支店便り](http://shops.blog.his-j.com/photos/uncategorized/2009/07/19/t02200293_0600080010214195545.jpg)
でもその中にルーマニア正教の教会もちゃんとあります。
ドイツ人だけしか入れない日があるそうです。
ブラショフをぐるりと見学して、ここで買い物をして帰途へ着きました。
元来た道を戻ります。
シナイアまで戻ってきたところで、さっきは曇って頂上が見えなかったブチェジ山脈が見えました。
なんだか神々しい…
これは「英雄の十字架」で、第1次世界大戦の英雄たちに捧げられたものだそうです。
実際の大きさは約50mもあるそうです。
20時過ぎにブカレスト到着。
力いっぱい楽しんだ1日観光もこれにて終了です。
ダンさん、お疲れ様でした。ありがとうございました。
最終日③へ続きます。。。
アル@美女だけどドラキュラには襲われませんでした。美女だけど。