ブログ 2012.04.06

Привет!!! (プリヴィエト)


今、急な出張でサンクトへ向かう寝台列車の中です。

日本では、寝台列車なんて数える程しか乗ってないですが、

ロシアへ来てからというもの何回目かなぁ。

深夜1時。今、ちょうどモスクワを出発しました。

ロシア語の演歌のような歌謡曲が旅情を誘っています(笑)。


さて、そんな中バルト3国紀行の続きを書きます。

前回までで十字架や教会の多いリトアニアをご紹介しました。

なぜでしょう?

それは、リトアニアの位置に関係あるのではないでしょうか?

もう一度地図を見てみましょう!
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リトアニアは歴史的にみても常に戦火に巻き込まれています。

東にロシア(ソ連)があり、北に北欧バイキングがおり、

南西にドイツとナポレオンのフランスがあります。

これらの国々がリトアニアやポーランドを舞台に激しい

攻防戦を繰り広げていたのです。

そのため、常に多くのリトアニア人が命を失いました

特に第1次、第2次世界大戦の時はソ連やドイツの戦いの

戦場になり、さらにKGBナチスの支配下にも入りました。

ビリニュスでは、当時のKGB本部が博物館として見学可能。

歴史から目を逸らさず、しっかり見てきました。
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まずは、外観です。至って普通のロシアンハウスですね。
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館内は写真撮影禁止です。
しかし、携帯電話のカメラならすべての

部屋の写真撮影OKと言われました。

何が違うのかは良く分かりません・・・。

内部に入ると各部屋が独房に改造されていました。
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このリトアニアKGB本部に収監されていたのは、当時のソ連に

対抗する反政府組織リトアニアパルチザンや、宗教弾圧の中

キリスト教活動をやめなかった神父、そしてユダヤ人

しかし、怪しいと疑われた人無実なのに密告された人なども

収監され拷問や処刑になったそうです。

【キリスト教活動を辞めなかった神父達】
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【処刑になったユダヤ人達の資料】

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ちなみにビリニュスの旧市街には、ユダヤ人強制居住区ゲットー

も残っています。

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また、このKGB博物館は、実際に使われていたKGB本部が

そのまま博物館になっているので、今回ご紹介できない刺激が

強すぎる部屋も多数残っています。お気をつけください。


そして、リトアニアにはナチス・ドイツ占領下負の遺産があります。

カウナス郊外のユダヤ人強制収容所です。

ポーランドのアイシュビッツが有名ですが、リトアニアのカウナスにも

ありました。

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ナチス・ドイツが欧州各国に侵攻し、各国のユダヤ人をこの収容所に

送りこんでいました。

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特に多かったのがフランスオランダに住んでいたユダヤ人だった

そうです。

この収容所で強制労働の挙句処刑された人数は、約5万人

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弔いと追悼の意味で巨大モニュメントが建てられています。

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しかし、このカウナスで多くのユダヤ人の命を救った日本人がいま

した。それは日本のシンドラーと呼ばれる杉原千畝です。

次回、杉原千畝の偉業をご紹介しますね。

常に戦禍に巻き込まれ、多くの犠牲を払い続けたリトアニア

人々の祈りが十字架の多さになり、教会の多さになったのでしょうか。

浅はかかもしれませんが、私はそう感じました。


最後にバルト3国がソ連から独立した時のことをご紹介しますね。

ビリニュスの街を見晴らす小高い丘にゲティミナス城というお城が

あります。

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このお城の見晴台には、下のプレートが埋め込まれています。
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これは、1989年8月にソビエト連邦からの独立運動の一環と

して行われたデモ活動『人間の鎖』のスタート位置を記念して

埋め込まれたプレートです。

『人間の鎖』とは、バルト3国の人々がリトアニアからエストニア

までの約600kmを、人々が途切れることなく手をつなぎ一つに

なった活動です。

参加人数は200万人を超えたと言われています。

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結果的にバルト3国の独立がソビエト連邦崩壊に繋がりました。

多くの血を流し続けたリトアニアで、反政府デモが武力では

なかったことが、とても印象に残りました。


さて、昨夜書き始めたこのブログ。

途中、ネットが使えなくなり爆睡し、今サンクトへ到着しました。

いよいよバルト3国紀行も佳境です。

あと少しお付き合いください。

では、пока(パカ)!



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    • 投稿: ☆е★misty -2012年4月 7日 (土) 12時36分

      ■これは
      やはり奥が深いですよね(^^)

    

    HIS モスクワ支店

    2024.11
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