ブログ 2012.04.07

Привет!!! (プリヴィエト)


前回、リトアニアの歴史に触れ、KGBナチスドイツ占領下

ユダヤ人が弾圧を受けていたとお伝えしましたが、今回は

そのような時代にリトアニアで多くのユダヤ人を救った日本人が

いたことをご紹介します。

その人物の名は、杉原千畝日本のシンドラーと呼ばれています。 

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杉原は第2次世界大戦中にリトアニアのカウナス領事館赴任し

いた日本の外交官です。

当時の領事館が今は杉原記念館として保存されています。
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そして、この旧領事館の入口の門には『希望の門 命のビザ』!

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1940年7月18日早朝。杉原千畝は、領事館の外の騒々しさに

目を覚ましました。2階の寝室から外を見てみるとそこには

約200人ものユダヤ人が何かを必死に訴えかけていました。

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ユダヤ人は、ナチス・ドイツの迫害から逃れようとアメリカへの

渡米を考えていました。しかし、そのためには日本の通過ビザ

どうしても必要でした。

そのため、カウナスの日本領事館に押し寄せていたのです。


では、杉原記念館に入ってみましょう!

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中に入ると館長さんが出迎えてくれて、さらに杉原千畝に関する

ビデオを見せてくれます。

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もちろん多数の資料も保存されています。

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さて、押し寄せるユダヤ人の人だかりを見て、杉原は悩みました。

なぜなら、パスポ-トを持っているのは一部、渡航費用も十分に

ない、さらに日本は日独伊3国同盟を結ぶ直前と言う時代背景

【杉原が実際に使用していた仕事机】

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ここで相当悩んだんだと思います。

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なぜなら、日本政府にビザ発給許可の申請をしても応えは『否』

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政府に背けば、外交官としての仕事を失い、家族共々反逆罪に

問われる可能性もあります。

しかし、杉原はビザ発給を決断します。


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『一人でも多くの命を救いたい!』

そう決意した杉原は昼夜を問わずビザを書き続けました。

当時はもちろんすべて手書きです。

カウナス領事館の閉鎖が決まり、リトアニアを離れる際も、杉原は

列車内でビザを書き続け、車窓から最後の一枚を渡したのでした。

杉原が書いたビザは約2000救われた命は6000以上と言われ

ています。

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『私のしたことは外交官としては間違ったことだったかもしれない。

 しかし、私には頼ってきた何千人もの人を見殺しにすることは

 できなかった。たいしたことをしたわけではない。

 当然のことをしただけです。』 -杉原千畝手記より-

当然のことをする勇気・・・。凄いです。


杉原記念館では、当時の日本の通過ビザに押していたスタンプを

押してもらうことができます。

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この杉原記念館には日本各地から訪問者が後を絶ちません。

来訪者は日本地図の地元の場所に日本国旗を立てます。
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ちなみに私の実家は埼玉県の大宮の少し北部にある小さな町。

なんと旗が立っていなかったので、ちゃんと立ててきました!!

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日本のシンドラー杉原千畝!

リトアニアで人間の誇り、日本人の誇りを再確認しました。

皆さんも是非一度訪れてみて下さい。


では、пока(パカ)!

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