知識 2020.10.16

こんにちは、台北支店のKです。

先週の10月10日は台湾の双十節(中華民国の建国記念日)でした。孫文が中国最後の封建王朝、清朝を倒し、中華民国を創立する武昌起義(武昌革命運動/1911年10月10日)を記念すべく、この祝日を双十節と名付けられました。

双十節の日は台湾各地の街道に国旗がはためき、総統府の前に盛大なパレードが行われます。

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(台北市内で双十節を記念する様子です)

今回は紹介するのは年中に国旗がいつでもはためいている所になります。

場所は桃園市中壢区の忠貞市場の国旗屋です。

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忠貞市場は台湾の一般的な市場と違い、中国雲南、タイ、ミャンマーを中心とする異国風な料理や食材などが多いです。

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(忠貞市場の様子)

なぜなら、忠貞市場の周辺にいる住民の多くは泰緬孤軍(タイ/ミャンマーにいた中国国民党の残存部隊)の生き残りとその末裔だからです。

第二次国共内戦(中国国民党と中国共産党との内戦/1945年~1950年)では国民党が敗戦したため、主力部隊は台湾に撤退してきましたが、中国雲南省の残存部隊はタイ/ミャンマーに撤退したため、泰緬孤軍と名付けられました。

撤退後彼らはゲリラ戦を行い中国共産党に抵抗し続けてきましたが、1954年に生き残りの部隊の一部分は台湾に撤退、現在の桃園市中壢区に移住、その後隣の市場である現忠貞市場でタイ/ミャンマー/雲南の食材と料理を販売しはじめたのが始まりとなります。

そんな忠貞市場のシンボルといえば、この国旗屋です。

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(店の前にも中華民国の国旗歌と国歌に書いてあります)

国旗屋という名前を見ると国旗の専門売店と思ってしまうかもしれませんがここは中国雲南の郷土料理、米干の料理屋です。店の内部、外観、周辺全てを中華民国の国旗で飾っており、インパクトは非常に高いです。

これらの国旗は国旗屋のオーナー張老旺さんが自腹で購入しています。(一部は民衆による寄付するものです。)

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(国旗屋のオーナー、張老旺さんです。)

店の前の看板と店内の看板にこの国旗屋の沿革が書かれています。

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張さんは子供の頃内戦で父はぐれてしまい、母と一緒に難民生活しながら父探しの旅をしていました。

その後無事父と再開できた張老旺さんは9歳の少年兵でありながら、泰緬孤軍の一員として戦ってきました。

毎回の戦闘後、再集合の合図として、張氏の母は手作りの国旗を持って山頂に立ち、泰緬孤軍の部隊を迎えにきました。その国旗のおかげで、張氏親子ははぐれることなく、無事に生還できました。

1953年に張氏親子は中華民国政府の命令に従って台湾に撤退、桃園市中壢区の忠貞新村に移住し、その後は忠貞市場で中国雲南の郷土料理屋の経営を始めました。

張さんが37歳の時、父が亡くなりました。父の遺物を整理している中見つけた当時の手作りの国旗を見て戦争の惨烈さを思い出し、死ぬまで毎日国旗を揚げようと誓いました。

その血で染められた手作りの国旗は父の葬式の時に遺体とともに棺に収められて葬られました。

1990年頃、張老旺さんは料理屋の利益で大量の国旗を購入し、店内と周辺に国旗を飾りはじめまました。

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(店内の様子、張老旺さんは国旗への愛を十分に感じます。)

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そして毎年の双十節は必ず店の近くの雲南文化公園で自費で国旗掲揚式を行うようになりました。

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(雲南文化公園/双十節の国旗掲揚式の会場です。)

その情熱に村の人々は心打たれ、やがて掲揚式の規模もだんだん大きくなっていき、台湾の総統も自らその国旗掲揚式に参加するようになりました。

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(2017年の双十節に、元総統馬英九氏が国旗屋の国旗掲揚式に参加る写真です)


台湾で一番国旗を愛する男はいつの日にか人々に「国旗達人」と呼ばれ、お店も国旗屋と呼ばれるようになりました。

張老旺さんはすでに80歳の高齢者のため、国旗屋の経営は基本的にスタッフに任せていますが、その志は忠貞市場の人々に受け継がれていくでしょう。

国旗屋の雲南料理については次回ご紹介します。

以上、台北支店からでした。

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