こんにちは、台北支店のKです。
本日は台湾の眷村料理を紹介しようと思います。
台湾の眷村(けんそん)とは、1945~1949の国共内戦で、敗戦した中国国民党の軍人、政府の要人などとその家族が台湾に撤退する際に、中華民国政府が手配した集落です。
台湾の食文化はその眷村料理に深く影響されて、やがて今の台湾料理のジャンルとなりました。
中国本土は領域が広いため、地域によって、気候がまったく違います。
大まかに分類すると、南方気候と北方気候に分けています。
南方は雨が多くて気温が高いため、米を中心とする米料理が多いです。それに対して、北方気候は乾燥していて気温が低いため、小麦を中心とする麺料理が多いです。そのため、中国の食文化を四字熟語でまとめると「南米北麺」となります。
中華民国政府が台湾に撤退する前に、台湾の食文化はすでに数百年前から中国本土からの移民に強く影響されていましたが、その移民は基本的に中国の南方からの人が多かったので、南方の米料理が主流です。
1950年に朝鮮戦争が勃発。当時の台湾は米軍の補給基地となるとともに、アメリカから大量の支援物資を頂きました。特に国共内戦後、台湾に撤退してきた貧しい中華民国政府にとって、ありがたい援助でした。
支援物資の中でも、特に食料の小麦粉を大量に頂いたため、台湾の食文化に根本的な変化をもたらしました。台湾に撤退してきた中国国民党籍の者は中国北方出身の者が多いので、その小麦粉で様々な麺料理を広めました。もちろん北方料理は麺料理だけでなく、ほかに日本人にもお馴染みの中華饅頭(マントウ)、包子(パオズ)、餃子、など小麦粉をベースとする眷村料理はやがて台湾の人気グルメとなりました。
けれども、眷村料理=中華料理というわけではありません。
なぜなら、アメリカから大量の小麦粉を頂いたとはいえ、当時ほかの食材が乏しい状態で中国各地方の料理をありのままに再現するのが難しかったのです。眷村住民の創意と台湾現地の食材を合わせて、多くのオリジナル料理が誕生しました。
眷村料理の特徴といえば、
1.各村の住民の出身が異なるため、料理の味も違います。
2.貧しい時代のため、コスパ重視する傾向があります。
3.中国本土の料理の特徴を残して、台湾の食材、気候に合わせてアレンジします。
今回は台北市の松山区の眷村料理屋「村子口」に行ってみました。
周りの繁華街に対して、店の外観は古く、素朴な一戸建てで、店に入ると、タイムトラベルしたような感じで、台湾の1950~60年代に戻った気分になります。
店の看板に大きく「還我河山(我々に国土を還せ)」を書いてあります。眷村の軍人がいつか故郷を取り戻す思いを表しています。
店内には台湾の50~60年代によくあるスローガン反共抗俄(反中国共産党、ソ連に対抗する)
、增產報國(国のために、生産量を増やす)を見られて、当時の愛国主義と歴史を感じます。
周辺のサラリーマン、OLらしい常連客が多いです。
店のオーナー王さんが中国山東省出身のためか、料理のメニューを見ると、基本的に麺料理と餃子料理がメインです。
今回は水餃(水餃子)と隠しメニューの炒餅(葱油餅炒め)を頼みました。
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水餃(10個)
台湾で餃子は基本的に水餃子と焼き餃子の二種類に分類されています。
眷村料理の場合は基本的に水餃子が多いです。また水餃子を主食として食べるのが一般的で、日本と違っておかずとして食べないので、ボリュームが多いです。具は豚肉とキャペツです。
味はオーソドックスですが、タレは独特です。水餃子専門店の場合、タレは基本的に醤油、ゴマ油、唐辛子ソースが一般的ですが、この店は手作りの花椒ソースのみです。
中華料理の花椒ソースは非常に辛いイメージですが、この店の手作りの花椒ソースはほんの少しピリピリしますが、辛さが抑えられている感じです。
価額:一個6元(約21円)
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炒餅
炒餅とは、昔貧しい時代に、食べきれない葱油餅(ツォンヨゥピン/小麦粉で作った生地に油を塗り、ネギの細切れを具として巻き込んで焼いた中華料理。)を回収して、玉子、キャペツなどの野菜と一緒にもう一度炒めた料理です。
ボリューム感が十分で、また玉子と野菜がたくさん入っているので、筆者のようによく外食する者にとって非常にヘルシーな料理です。
眷村出身の者にとって、母さんがよく作ってくれる料理で、今は人気の眷村料理となりました。
この炒餅にも花椒ソースをかけてみました。ほんの少しピリピリする感じがいいです。
ただしこの炒餅はなぜかメニューに載せていないので、注文する際に自分でメニューに手書きすることが必要です。
価額:80元(約280円)
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小籠包(しょうろんぽう)、牛肉麺など、実は眷村出身の者がレシピをもたらして広めて、
やがて台湾の人気グルメとなりました。
そのため、眷村料理と台湾料理の間、ジャンルはだんだん区別しにくなっていきました。けどれも、眷村出身の者にとって、眷村料理は故郷の味だけでなく、戦後の団結的で、素朴で、節約的な精神の継承を伝えています。
以上 台北支店からでした。