1月23日
今日は寝坊の日、んでもって7時に朝食
夜更かしをしてプールバーで遊んでいたルチアとペルが眠そう。
みんなシリアルとトーストをボ-としながら食べて、7時半出発
ペルが、期限切れのIDカードをパブの壁にホッチキスで留めていたので、も置きみやげにツンパをっ!てーのはジョーダンだけど、宣伝もかねて、HIS Australia のビジネスカードを壁に貼り付けてきた。
今日は最終目的地、トップエンドをめざす。
最初のストップは、北上して温泉のマタランカホットスプリングス
最近、雨が多かったので、もし川が増水して温泉のプールに流れ込んでいたら、ワニが温泉プールに侵入しているかもしれないので、ワニと温泉でごいっしょするのもなんなんで、恐る恐る温泉の様子を見る。
大丈夫のようなので、水着になって温泉に浸かる。
雨季なので、頭上にこうもり(フルーツバット)がい~ぱいぶら下っている、森の中の温泉
湯の温度もちょうど良くて、素敵な自然の温泉なんだろうけど、なんせおっそろしい数のこうもりが木にぶら下がっていて、ポトポト、フンを落とすので、湯に浸かっていても気が気じゃあない。
まあ菜食主義のこうもりだから、フンもフルーツピューレーってなもんだろうけど。
早々にとティアは上がってしまった。
こうもりのポトポトフン入りの温泉だったので、きれい好きなとティアはキャンプ場のシャワーを浴びた。
(皆様には、こうもりのいない乾季の季節に行かれる事をお勧めしまーす。)
この温泉で写真を撮ろうとして、は、はたと、昨夜の宿‘デイリーウォーターズ パブ’にデジカメを忘れてきてしまったことに気づいた。
A=´、`=)ゞ
え~、ということですので、4日目からはの写真がありましぇ~ん(涙)
やっぱり変てこなパブのおかげで(人のせいにする)、頭ん中変てこになってたんだぜっ
昨晩、エントランス脇の空ビンの装飾テーブルで、ジャーナリスト希望のペルといろんな世界中のことを話し込んでいて、そのテーブルに忘れてしまったのだった(T_T)
マタランカの公衆電話でデイリーウォーターズ パブ’に電話をしたら、運良く見つけてくれた
ダンに帰りのダーウィンからのツアーの時に、ピックアップしてもらうよう頼んだよ~ん、良かった
次はキャサリンで給油と休憩
久しぶりの町! ポテトチップスも普通の値段だよ。
ジョークじゃない、本物の信号機があるし、
携帯も繋がるしね。
昨年のサイクロンモニカの時、キャサリンの川が溢れて洪水になってしまった時の話題を思い出した。
10才の男の子が、川のようになった道路で自転車に乗っていて、このぐらいの年の子にありがちなんだけど、水の中を走るのがおもしろくて遊んでいたら、なんと増水した道路に川からやって来たワニが泳いでいて、10才の男の子はアタックされてしまったのだ。
テリトリーの住民はワニに馴れているのか?その男の子は肩を咬まれただけで、なんなく逃げたそうだ。
昨年の新聞の1面に写真が載っていたっけ。
そしてさらに北上
キャサリンの北60KMにあるイーデスフォールスパークでランチと休憩
食後は、イーデスフォールス(滝)のウォーターホール(プール)で泳ぐ。
静かで平和的なひと時、体をさましながらおしゃべり
我々グループの他はだーれもいない、お魚も多いし、楽しく水遊び。
泳いだ後は、滝の見晴らし台までハイキング
炎天下で暑く、たった20分ぐらいのハイキングなのに、皆恐ろし~くあっつくなって、汗だくだくになってしまった(><;)
ステュアートさんに比べたら、全く情けないことだが、エアコンのバスの中で生き返る我々現代人
さらに北上し、アデレイドリバーインで休憩
ここには映画‘クロッコダイルダンディー’に出演した、バッファローのチャーリーくんがいるのだ。
皆さんは‘クロッコダイル ダンディー’をご覧になりましたか?
チャーリーくんは剥製になって、アデレードリバーインのパブのカウンターに載っていますよ。
でも、なんだか変
チャーリーくんの足が…短いような(*_*)
誰がなぜカウンターに置くことに決めて、執着したのか不明なのだが、カウンターに置くと扇風機の羽に当たってしまうので、仕方なく足を短くされてしまったらしい ┐( ̄ヘ ̄)┌
ダン曰く‘まさにこういうところが‘テリトリー的思考回路’だそうだ。
アデレイドリバーインは1873年開店のヒストリックホテル。
バーの名前は‘303 Bar’
第二次大戦中にはアデレイドリバーの町に大きなアーミーベースが設置されたので、戦死者の墓や博物館なども見どころ。
チャーリーくんにさよならをして出発
ついにトップエンドを目指す
大きなターマイト(白蟻塚)で小休憩
家族にはめずらしくもないが、ヨーロッパからの仲間は写真をとったりしている。
夕暮れ時、だんだん街らしくなってきたゾーついにダーウィンだ。
ケアンズから3000KMはるばるやって来たゾー
信号機やハンバーガー店のカラフルさが、なんだかなつかしい。
バックパッカー宿はミッチェル通りに集中している。
ダンがそれぞれが予約をしている宿に降ろして行く。
宿にチェックインをして荷物を置いたら、皆でフェアウェルディナー
スミスモールのナイトクラブ、ビクトリアホテルに集合だい!
ビクトリアホテルのゲームに参加したルチアが勝って、$50のドリンクの券をゲット
食べて飲んで(ティアはコーラ)、夜9時半に最後のお別れをした(/_;)/~~
ティアが未成年なので、9時半までで退場しなければならないし、我々も疲れ果てていたしねぇ~
ファミリーはダーウィンで友人に会ったりして、数日滞在してケアンズにフライバックするけど、他の仲間たちの旅は、まだまだ続いて行く。
グッドラック、マリーナ、ルチア、ペル、クォン
ありがとうダン、またケアンズでいっしょに飲みましょう
実はダーウィンはにとって、オーストラリアで1番最初に訪れた町なのです。 あの頃(1988年)に比べてかなりモダンになりましたね。
忘れもしない、まず最初にダーウィンに降りて驚いた事は、空港職員、税関職員のカラーワイシャツ、短パン、ハイソックス、革靴の制服でした( ̄_ ̄ i)
だれでも最初に言う言葉、ダーウィンのあいさつは‘へごまい’かもぉ~~と、はしばらく思っていました。
そのうち‘へごまい’からゴーイングだけをピックアップしちゃって、
I am going to Sydney. などと答えていたでした。
How are you going mate? のこととはしばらく気付きませんでした
オージーの相手はだったと思いますよぉ。
‘調子はどう、元気?’って挨拶しているのに、は‘シドニーに行きます’って答え続けていたんですから
~番外編-ダーウィン、そして後日談~につづく