1月25日~27日
ケアアンズから3泊4日かけて、3000KM、陸路を走ってダーウィンまで、ついにやって来たんだと、しみじみ思う。
家族は友人に会ったりして、数日過ごしてからケアンズへフライバックする予定。
ダーウィンは人口13万人のノーザンテリトリー準州のキャピタルだ。
ケアンズがおよそ人口12万5千人だからケアンズとほぼ同じ。
ダーウィンの人口の10~15%がアーミー(軍隊)に職を持っているとの事。
またケアンズのように観光業に大きく依存していないので、ケアンズと同じ位の人口が何らかの安定した職についていることを考えると、ダーウィンの経済が、かなりケアンズより安定していると、には感じられる。
(ちなみにケアンズでは4~5千人が何らかの形で観光業職だそうな)
ケアンズと比べると不動産や物価はダーウィンの方がお高いな。
でもシーフードはケアンズよりダーウィンのほうが美味しい(^-^)/
安くてうまいと評判なのは、今は港の再開発中で大工事現場と化してはいるが、港の突端のワーフにあるシーフード街。
露天風シーフードのテイクアウェイ店が20軒ぐらいあって、湾に向かっていすとテーブルが沢山並べてあり、毎夜沢山の人で賑わう。
昼間は誰もいなくてシーンとしているんだけど、夜に行ってびっくりよ。
暑い昼間、汗だくで家族がワーフを散歩していたら、幸運にも街をドライブしていたダンが、トラック改造バスで通りかかって、家族を拾ってくれた。
エアコンの車内で生き返る家族。
だんなロイドはニュージーランド人だが、8歳の時父親の転勤で、ニュージーランドから家族でダーウィンに引っ越してきて、次の転勤まで6年、ここに住んでいたのだ。
ロイドが住んでいた家を見に、ダンがドライブして連れて行ってくれた。
街に戻り、ランチはダンも一緒に、ミッチェルストリートの、
エアコンのきいた(重要)レストランでゆっくり食べる。
ミッチェルストリートを中心に、旅行者たちは滞在しているので、宿やレストランはこの辺に集中しているが、ダーウィンの地元の人々は車で10~20分ぐらいの郊外に住居している。
旅行者にとって、ダーウィンの街は、カカドゥー国立公園やリッチフィールド国立公園などの、有名な見所に出発する基点の街なので、市内にはたいして観るものはないが、エスプラネード(海岸通り)、ワーフ、ノーザンテリトリーパーラメントハウスなどは、暑いけど!歩いてまわれる
「日本人にとってはうれしい歴史記録ではありませんが、
第2次世界大戦時、ダーウィンはオーストラリアで唯一、日本軍によって爆撃された場所なのです。
通信機能を破壊する目的で、郵便局を中心に爆撃されたので、交換手の若い女性を含む9人の方が亡くなりました。
案内パンフレットがパーラメントハウスにあります。」
ダーウィン市街をでて、ファニーベイを右に見て、海沿いを北にナイトクリフあたりまでドライブすると、本当にすばらしい海の景色だ。
昼間は市内を散歩したり、宿のプールに入ったりして、夜は友人、デイビッド(ちょっとチャビー)とドライブして観て回った。
デイビッドはロイドの大学時代の同級生で、今は私立の小学校の校長先生をしている。
最終日はオーストラリアンデー(建国記念日で祝日)前日だったので、デイビッドの教え子の、まさにオージー的で超フレンドリーな家族に、シーフードとバーベキューの夕食に呼ばれた。
オージーたちはオーストラリアの国旗を揚げて、いっぱい飲んで、いやにお祭り気分
歴史の長い日本人の私たちは、しつこく日本という、切っても切れないアイディンティティーを、何気にだが、しっかり引きずっている
歴史の浅い(アボリジナルの歴史はもちろんありますが、今は置くとして)、
移民の国オーストラリアの人たちが持つ、その陽気さの影に、そこはかとない寂しさを感じるのは、きっとそのアイディンティティーの希薄さゆえから来るのかもしれないな、とは思う。
自由に風にのって飛べるけど、彼らは糸のない凧、、、
我々日本人が日本の建国記念日を思うより、歴史願望の強いオージーたちは、オーストラリアンデーをより歴史的に思いたいのかもなぁ。
みたいに糸の付いた凧は、自由すぎてちょっと寂しい凧さんがうらやましいけど、なぜか糸は切れない、、、
イヤイヤ~の場合、日本食は切れないと言うべきか(^_^;)
バーベキューには、同年齢の女の子たちがティアを含め5人もいて、プールに入ったり、涼しくなった庭で遊んだり、とっても楽しそうだった。
ティアは仲良くなった子とメールアドレスの交換などしていた。
メールアドレスっていうのが、今時の小学生だわね。
大人も子供も楽しくおおいに飲み、食べて、気付くと夜12時を過ぎている、ヤバイ
我々のフライトは1月26日、オーストラリアンデーの朝1時なので、おっと~乗り遅れるところだったと、空港に連れて行ってもらったのだった。
本当に楽しいダーウィンでの数日でした。
今度は涼しい乾季にまた来たいなっ
◇◆ ケアンズに帰ってからの、後日談 ◆◇
1月29日に宛てに、ノーザンテリトリーの警察から電話があり、なんだろうってびっくり。
デザートベンチャーのツアー3日目に通った、バークリーホームステッド ロードハウス入り口で、が見つけたキャンバスバックのことだった。
「はバッグをただ見ただけで、そのことならロードハウスの人に言ったので聞いてくださいっ」と言っても、どうしてもケアンズの警察署でステートメントを作ってほしいと言うので、ステートメントを作りに行ってきた。
ケアンズの警察署に行く途中、幸運にも、ちょうどダーウィンからのツアーをしてきたダンのバスにばったり会って、がデイリーウオーターズパブに忘れてきたカメラを、ピックアップしてきて、渡してくれた。
どうもありがとうね、ダン
ケアンズの警察署で、はニコニコ顔(^-^)のポリスに、バッグについて聞かれまくり。。。
何日、何時に、その置き去りにされた、バキャンバスバッグを見たのか?
どんな色?どんな形?
バークリーホームステッドロードハウスの写真を撮ったので、時間はカメラに記録されていた。
がバッグを見たのは1月22日朝9時半。
実は、その前日の夜に、1人ヒッチハイカーがバークリーホームステッドから行方不明になったのだった
そこで、は、はたと合点がいったのだった
気付かず読んでいたけど、ダーウィンで買った新聞に載ってたやつだと。
みなさ~ん
車で行くにしても、アウトバックへ行かれる時は2台以上で行きましょう。
そしてできるだけ無線機を携帯しましょうね。
燃料も半分以下になったらすぐ、次に見かける給油所で補給して、万が一、道に迷った場合の為に備えましょう。
それでは...フーミンのアウトバックの旅、これにてTHE END
遙々ダーウィンまでの3000KMの旅+おまけの後日談の駄文にお付き合いいただきました当支店ブログ読者の方々、長い間誠にありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。
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投稿: はが けんじ -2007年4月22日 (日) 23時53分
■きょわぁ~~~~い!
うそ!これってもしかして、その失踪者と関係があるのか・・・って感じですよね!?怖すぎ。それにしてもこの国は広すぎるので、失踪しても見つけるのが大変そうですな・・・・・そういえば昔、オージーが日本人の旅行者の無防備さについて熱く語っていたっけ・・・・全く持ってアウトバックの知識も無いのに軽装で行ってしまって、サルベーションアーミーもお世話になったり・・・・みんな準備は周到にね! -
投稿: フーミン -2007年4月23日 (月) 12時28分
■はがさん、コメントありがとうございます♪
モダンな街をじゃんじゃん造ってしまったオーストラリアの東海岸沿いに日々暮らしていると、アフリカ大陸なみのワイルドな自然が息づいている、この大陸のことを、ついつい忘れがちになりますよね~まったく。 アウトバックへ行く時は、少々勉強してから行きたいもんですね。プロフェッショナルなツアーに参加して行くのもひとつの安全な方法かもしれません。安全にその雄大さを満喫できれば最高ですから。。。 -
投稿: ナナコ -2007年4月23日 (月) 23時19分
■エアーズのツアーと比べて・・・
ダーウィンのツアーは結局海に繋がるから嬉しいねぇ~。途中で泳ぐことが出来たり、自然を満喫っすねぇ~。それにしても・・・行方不明の人。怖すぎなんですけど・・・。その後はやっぱりまだ見つかってナイの??? -
投稿: フーミン -2007年4月25日 (水) 02時01分
■ある筋からの情報によると~
昨年10月ごろに行方不明になったニュージーランド人旅行者(ブログに載せた新聞写真の彼)の足取りは、デイリーウオーターズあたりのATMでお金を引き出した記録が最後、フーミンが見つけたキャンバスバックの彼は、バックのあったバークリーズホームステッドが最後の足取りで、イヤな表現ですが両方ともボディーも見つかっていないそういです(汗)。フーミンの後にドライバーのダン(現在ヨーロッパでホリデー中♪)も、ニコニコ顔のポリスのところへステートメントを作りに行かされて、情報を聞いてきたというわけです。キャンバスバックの彼はケアンズから自分で車を運転して出発したが、、そのうち車が壊れたので乗り捨ててヒッチハイクで旅行していたそうです。いやはや。。。でもね、こんなこと書いちゃったけど、アウトバックは怖いって錯覚しないでくださいね~~~皆々様!