銀山塔林は、北京市昌平区興寿鎮西湖村に有ります。創健は、唐貞観年間。唐憲宗元和年間から、歴代の名僧、禅師が集まりました。
円寂禅師と大小沙弥の死後、僧の仏門における等級、地位に応じて、法華禅寺境内と銀山山麓に霊塔を建て、形成された塔群を総称して「銀山塔林」と呼ぶようになったそうです。
銀山塔林には17基の墓塔が現存しており、高い塔は20メートル余り、直径は7メートル前後、低い塔は2、3メートルと様々です。塔の形は、庇式塔、覆鉢式塔が主です。密庇と覆鉢の2種類の形式の塔を結合式墓塔もあります、異形塔を建造することは、塔林の中の最上の佳作と言え、中国古代仏教とレンガ建築を研究する貴重な遺産です。
1988年1月13日、中華人民共和国国務院によって全国重点文物保護単位とされました。
法華寺遺跡:法華寺は本来、金時代の禅寺大延聖寺でしたが、明の宣徳4年(1429年)4月に宦官の呉亮の出資で再建され、正統2年(1437年)に英宗の朱祁鎮により法華禅寺の名を賜りました。元は、正殿、伽藍、祖師堂、回廊、僧房が有りましたが現在は、消滅しており、塔だけが残っています。残っている煉瓦塔には、金代の仏覚禅師、懿行禅師、晦堂禅師、円通禅師、虚静禅師の5人の名僧を祭っています。
山間に法華寺跡や塔等の遺跡が点在しています。
それほど急な登りではないので、色んな遺跡を見学しながらゆっくりと登ることができます。
落落洞:昔僧侶が修行したり住んだ所。史記には、重石洞、重岩洞と書かれているそうです。
説法台:唐の高僧鄧隠峰が説法をしていた所と伝えれています。
転腰塔:明清時代に修築されたラマ塔で、一部だけ残っています。この塔を左に3周右に3周回れば腰痛や足痛が治ると言われている為、転腰塔と呼ばれています。
古仏岩:清代の「昌平山水記」と「昌平州記」に記載されている古人によるなごめる物像彫刻です。
鐘亭から望む法華寺遺跡(塔)
HIS北京で専用車できます。
你好!
みなさんこんにちは。
「孔子寺と泰山」の旅④に続いて、
孔子そしてその祖先と子孫お弟子さんのお墓「孔林」の散策です。
「孔林」は、すごく大きいので、孔子、孔子のお父さん、子供、孫のお墓を見に行きます。
雨が降ってきました
孔子のお孫さんの「孔極墓」
下の「孔子墓」にこちらにも面白い仕掛けがあります。
お墓に刻まれた一番下の文字を見てください
「干」の文字に見えますねぇ。
「孔子墓」
儒教を幾度のなく弾圧されていますので、孔子の立場を「王」と示されたところをうまく隠したわけです。
文化革命時に、墓石も壊されたとのこと。。。ひび割れだらけです。
お父さんと、息子さん孔鯉のお墓もあったのですが、写真に収めるのを忘れました。。
雨も降ってきましたので、次の目的地へ急ぎます
你好!
みなさんこんにちは。
山東省「孔子寺と泰山」の旅③に続いて、「孔府」の散策です。
こちらは、孔子の子孫が住んだ場所です。
「聖府門」
「聖府」とは、「孔府」と同じことを表しています。
この門の両端に掲げられている、文字には孔子一族の教えが書かれています。
「富」と「章」の漢字にまたまた謎がありますので、実際に来てガイドさんから説明を受けてください。
「聖人之門」
「聖人之門」の門は昔は普段は開かずの扉でした。
孔府の大典、皇帝が来られたとき、詔旨の読み上げなどの重大な儀式があった際のみ開いた門です。
皇帝がお越しになった時に座った場所
「六代含飴」
「六代含飴」の額は、孔72代目の子孫が生まれた時、乾隆帝が孔府に訪れた際、与えた額です。
この時、孔府には、子供が生まれたことによって六代の家族が一緒に暮らすことになったため、孔府の六代が繁栄し、仲よく暮らすことを祈願して与えた文字です。
「六代飴糖」というお土産があり、今でも曲阜の路地、孔府内を含めて販売されています。「六代飴糖」は麦芽飴です。地元の曲阜人は、この飴を食べて、家庭円満と幸福が継続するように祈願します。
こちらは、孔府前堂楼(孔令贻家族の住まい)の本堂の中に額があり、「松筠永春」という文字が書かれています。
「筠(yun2)」 は竹という意味で、「松竹永春」と書かれるとなんとなく意味がわかりますねぇ。
松竹は四季を通じて青く、しかも寿命が非常に長いので、寿命が長くずっと青春。
こちらの「孔府」は、ここは行っちゃいけない?と思えるぐらい後ろの建物に入る通路が狭いです。その理由は、婦人の住む場所なので、人が入りにくくするためだとか。
また、同じ館の中に、この第一夫人とそれ以下の夫人が住んでおり、その間で、争いがあったとか。こちらでも故宮のような争いがあったわけですねぇ。。。
次は、「孔子寺と泰山」の旅⑤ 「孔林」へ続きます。