観光 2009.07.22
川底下村は、京西古道沿いの歴史ある山村。明・清代の四合院(伝統様式の邸宅)が今なお完全な状態で多数残され、文化的な味わいの濃い歴史文化遺跡となっている。北京の西郊外に行くこと2時間、山の中に明清代の四合院が数十軒ほぼ完璧な形で残っている場所がある。村は山西省に抜ける谷の入り口にあり、通商で繁栄した様子が今も残る豪華な家のつくりからも窺い知ることができる。同村は、「北京郊外のポタラ宮」とも呼ばれる。
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川底下村は、北京市内から、約90キロ離れた門頭溝区にある村です。明・清時代の建物がほぼ完全に残された四合院建築物が約70戸余り残されています。明時代の初期、北方民族の侵入から都を守るため、現在の山西省から移住させられた人々が住み付いた村で、それ以来、村人は全て、「韓」という苗字を名乗っています。
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川底下村には500年以上の歴史があり、昔は、北京から山西省に行くのに必ずここを通らなければならなかったそうで、北京と河北省、山西省を結ぶ唯一の道路にある宿場町で、貿易の拠点として栄え、北京を守る重要な軍事基地でもありました。千人規模の村になり、科挙に合格し高級官僚に任命される者もいたと言われています。

 最近では、新しく建設された国道109号線からはずれ、経済発展から大きく取り残されてしまいましたが、そのおかげで、村はそのままの形で保存されることになりました。現在は観光が主な収入源となっていますが、以前は村は貧しく、蜂蜜の生産が主な産業でした。

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川底下村はとても神秘的な一面があります。川底下村は、山に取り囲まれています。村全体は南に面して、
中国の風水学の理論に基づいて言えば、吉だということです。 また、画家の は1998年10月、ここでスケッチをしていたときに、山が眠っている観音様の形をしていることを発見し、2003年正式に、発見者として認められました。
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 川底下村は、中国語では、爨底下村と書きます。この爨という字は、一見、繁体字だと見えますが、実は簡体字です。読み方はcuan(2声)です。この爨には、『ご飯を炊く、炊事をする、かまど』という意味があります。明の時代には、急峻な渓谷に阻まれた土地柄から爨底下と呼ばれていたそうです。

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皆様、時間があれば、ぜひ楽しみしてください!

koken



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