マングローブ植林とルングス族ロングハウスに滞在6日間(クダット編)
3日目 ルングス族ロングハウス
朝、コタキナバル市内を後にし、ボルネオ島最北端の街クダットを目指します
コタキナバルから車で3時間程の道のりなので、途中トイレ休憩を取り、道端の屋台の地元産トウモロコシを食べたりしました
ガイドさんは地元ルングス族出身のボン(BON)さんです
車の中では、ボンさんの説明がとても興味深かったです。
地元出身だけあって、歴史的な事やルングス族独自の文化・習慣などとてもよく知っています
車中3時間ずっとしゃべりっぱなしでした
時間の関係で通常のスケジュールの順番を変更して、まず始めにボンさんのご実家に行き、ご家族との懇談会を行いました。
ボンさんの実家はクダットの街からティップ・オブ・ボルネオに行く途中にあります。
未舗装の道路に入ったころから、
「これは私のお母さんの○番目の妹の家、これは私のお父さんの○番目のお兄さんの子供の家、これは私の何とかの何とかの家、これは私の・・・。」
と、ボンファミリーの親戚の家をたくさん通り過ぎました。
↑ボンさんのおじいさん、おばあさん
おじいさんは頭にルングス族の布をまとっている(普段からかぶってるそうです)
ボンさんの家に到着すると、ボンさんのおじいさん・おばあさん・お父さん・お母さんが出迎えてくれました。
おじいさんは以前この村の村長をしていた人で、村で始めてのキリスト教信者だそうです。
(もともとルングス族に宗教はなく、神様のかわりとして霊媒師が存在していました。)
1881年イギリスが植民地を作る為に始めて侵入したのがクダットですが、日本軍もまた第2次世界大戦の時代の1940年代にクダットから侵入しました。
おじいさんはその時の様子や日本に対するイメージなど、生の歴史を語ってくれました。
今ではその時の様子を知る人はとても少なく、おじいさんの子供の代やボンさんの世代の人にはあまり知られていない話です。
(お話の中で、ボンさんも始めて聞いた、というエピソード等もありました。)
↑ボンさんの家の外観(高床式の家。村の家はどこもこんな感じです。)
ボンさんの家の中を見せてもらったりしてから、ご家族と記念撮影をして、懇談会は終了しました。
ボンさんの実家を後にして、クダット市内に向かいました
クダットの街はイギリスが統治していた頃は州都だったのですが、今現在は特に何もなく、小さな街です。
1年に1回地元の名産物であるココナッツのお祭り“ココナッツ・フェスティバル”をしていますが、最近ではココナツ栽培よりもアブラヤシのプランテーションの方が多いそうです。
昼食はクダット・マリーナ・リゾート内のレストランでとりました。
リゾートから見る海はとても青くてきれいで、お腹も満足しました