マンハッタン西72丁目にあるダコタハウス(The Dakota Apartments)は、ニューヨークで2番目の高級集合住宅(コーポラティヴハウス)として1880年に着工され、1884年に完成。
1972年にアメリカ合衆国国家歴史登録財(NRHP)、1976年にアメリカ合衆国国定歴史建築物(NHL)に指定されましたが、ここに住んでいたジョン・レノンが、1980年12月8日に建物玄関前で射殺されてから、世界的に有名な名所となりました。
オノ・ヨーコとの共作アルバム『ダブル・ファンタジー』が発売された直後の出来事で、ルーズベルト病院に運ばれたジョン・レノンはわずか40年の生涯を閉じています。
セントラルパーク側から見た現在のダコタハウス。
「ダコタ」の名前は、アメリカ中北部に広がる南北ダコタ州に由来するという説があります。
建設された当時は周囲にほとんど何もなく、「まるでダコタ平原」のように見えたとのこと。
ジョン・レノンが射殺された南側入口。
いつも記念写真をする人たちでにぎわっています。
セキュリティーが24時間見張っているので、関係者以外の人が立ち入ることはでいません。
さて、このダコタハウスは古色蒼然としたゴシックスタイルの外観(内装はフランス・バロック様式といわれる)も影響したのか、数々の「うわさ」と「伝説」に彩られることになりました。
『Business Insider』というアメリカ情報サイトがまとめたところによると、
1.ダコタハウスに住み続けているオノ・ヨーコは、ある日、ピアノの前に座るジョン・レノンの幽霊を見た。「Don't be afraid, I am still with you」といわれたとのこと。
2.生前のジョン・レノンは、建物の中で「泣いている女性の幽霊」を見たらしい。
3.この建物には火災時の非常口が存在しないといわれている。
4.ここの住人は、ドアと暖炉に関しては、建設当時のものを新しく取り替えることを禁じられている。
5.セントラルヒーティングの設備は当時の最先端。
6.1884年の創業以来、空き部屋が生じたことがない。しかも、建物が完成する前から住んでいた著名人もいたらしい(ステンウェイピアノで知られるステンウェイ家、作曲家チャイコフスキーなど)。
7.入居基準が猛烈に厳しく、有名なセレブでも断られた人が多数・・・
代表的な住人としては、レナード・バーンスタイン(2階の図書室付き4ベッドルーム、セントラルパーク・ヴュー)、ローレン・バコール(53年間、9部屋のアパートを所有)、ロバータ・フラック(オノ・ヨーコの隣屋)、U2のボノ、ジュディ・ガーランド、ジェイスン・ロバーツ、ホセ・フェラー、などそうそうたる顔ぶれ。
最後に、ダコタハウスを舞台にした有名な映画を紹介しておきましょう。
ローズマリーの赤ちゃん
(Rosemary's Baby)
1968年アメリカ映画
監督 ロマン・ポランスキー
主演 ミア・ファロー
ダコタハウスに引っ越してきた新婚夫婦の身辺で奇怪な出来事が起こる。地下室で知り合った女性が謎の投身自殺、隣り部屋の老夫婦による異常なおせっかい、優しかったはずの夫もどこか様子がおかしくなり・・・
そして妊娠したローズマリーもいつしか悪魔の計略にハメられていくという、現代の怪談。
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