☆★☆★バリアフリー・サイパンデスク★☆★☆
こんにちは。
週末は天気がよく、この新宿の店舗も、たくさんのお客様で
賑わっておりました
『SUPER BAZAAR』も開催中ですので、ぜひ夏休みの
ご旅行をお考えのかたは、お早めにご相談下さいね
さて、本日も引き続き、サイパンの旅のつづきをご紹介!
◎<2日目・5月30日③>
昼食のあと、次はサイパン島北部へ向かって出発
また熱帯の木々が生い茂ってきたところで、道路から
山道へ。
その場所は、『極楽谷』と呼ばれる場所で、その中に
あった野戦病院を見に行きました。
病院といっても、建物があるわけでも、ましてやベッドが
あるわけでもなく、道なき小高い丘を、少し登ったあたりの
洞窟を病院として使っていました。
なぜ、“極楽”谷と呼ばれたかというと、脇にきれいな
小川が流れていて、水が確保できたことから、そこが
“極楽”のようだったからだそうです。
ただ、ご覧いただくとおり、本物の“極楽”とは程遠く、
ただの洞窟、岩陰に過ぎず、そこには、人骨の破片や、
焦げたコーラの瓶、おそらく治療で使われたであろう薬瓶や、
不発の手榴弾、兵士のヘルメットなどが生々しく
置かれたままになっておりました。
供えられていた千羽鶴は、慰霊団などが訪れた際に、
置いていかれたものだそうです。
ここが極楽ということは、もちろん地獄もあるということで、
この次に向かったのが、『地獄谷』と呼ばれたところ。
草むらを分けてジャングルへ入っていき、15分くらい歩いた
後に、斜面の上にみえてきました。
陸海軍最終指令本部をおき、さらに、そこで、南雲中将を
はじめ、斉藤中将など、4名のトップが自決した場所でも
あります。
そして、4名が自決した次の日、「バンザイ作戦」が決行
されたそうです。
銃痕が残る鉄板がある洞窟から、さらに一つ上がった場所で
中将たちが自決し、その上の洞窟で、機密書類や日章旗を
燃やしたそうです。
燃えかすがそのまま今も残っていたり、卒塔婆や人骨が
あったりと、追い詰められて、この場で最後をむかえるしか
なかったことを考えると、とてもやりきれない思いになり、
胸が苦しくなりました。
少し話はそれますが、いくつか洞窟をまわり、
写真でもご覧いただいたのですが、その写真で、お気づきの
ことってありますか。
実は、不自然に岩が黒ずんでいることにお気づきになりまし
たでしょうか。
これは、自然現象なんかでなく、サイパン中にある
洞窟、岩のくぼみに逃げ込んだ日本人を、アメリカ軍が
火炎放射器で燃やしたそうです。
アメリカ軍としては、早く投降をして捕虜になることをすすめた
のですが、日本軍の教えでは、「捕虜になったら、どんな
ひどい目にあわされるか分からないから、絶対に捕虜には
なるな!」と厳しく言われていたため、洞窟の中で焼け死んだ
人たちがほとんどだったそうです。
本当は、捕虜になっても、もちろん自由はなかったかも
しれませんが、最終的に日本に帰れた方もいらっしゃり、
それがわかっていれば、もっと犠牲者を減らすことはできたの
かもしれませね。
この統一思想のようなものが、戦争の一番恐ろしい部分の
ような気がして、とても悲しくなりました。
まだまだ2日目が終わりませんが、また次回へとつづきます
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