景山は故宮裏門の神武門の向い側にある、と言うよりも真北にある高さ92m余りの小山です。一名を煤山と言いますが、又の名を万歳山とも呼ばれます。
元代は大都城内の土丘で青山と言い、明時代の1416年に故宮の造営しているとき、元時代の旧城を撤去し、紫禁城、(故宮)のお堀を掘って余った土を堆積し万歳山と命名しました。 皇宮がその麓を石炭置き場にしたので、俗称を煤山と言ったのです。
明時代の1644年)3月19日、李自成は50万の農民軍を率いて北京城を包囲しました。明時代の最後皇帝の崇禎帝は永王と定王の二人の皇子に平民の服を着せて紫禁城から逃がし、娘の長平公主と昭仁公主を自らの手で殺しました。崇禎帝は宦官の王承恩と共に紫禁城を抜け出し、裏の景山に登り、一本の槐の樹に帯びを吊るして縊死しました。
崇禎帝の縊死した場所には、何代目かの槐の樹が植えられ、記念物として今も壽皇亭の前に保存されています。