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2012.03.14
【ベンガル語を守った!】 ショヒド・ミナール
1947年、インドから分離独立したパキスタン(現パキスタンとバングラデシュ)は
公用語をウルドゥ語ににする政策を推し進めていました。
それは、ベンガル語がなくなることを意味していました。
そこで立ち上がったのが、ダッカ大学生でした。
しかし1952年、2月21日
4人の学生が、デモの際に警察に発砲され殺害されたのをきっかけに
バングラデシュ全土にベンガル語を守れとの言語運動が巻き起こります。
それが独立戦争まで続きます。
このショヒド・ミナール碑はパキスタンからの独立後
学生が殺害された場所に建てられたものなのです!
現在では2月21日は言語デーとして国民の休日となるとともに、
世界的にも「世界言語デー」と指定されています。
その2月21日には、多くの人がここに集まり、
花を手向けます。
ぜひこの場所を訪れてみてください。
HISダッカ支店 関根