ビバ!クリスマス
今年も静かに忍び寄る。
各ホテルのイルミネーションが段々派手になり、スーパーなんか行こうもの
なら、念仏のようにホーリーホーリーの連呼のBGM。
そう、年に一度の誰かのお誕生日。
サイパンはキリスト教徒、その殆どはカソリックが多いだけに、11月の
末頃から、こんな調子で面識のない人のお誕生日のお祝いをしなきゃ
いけない。
これがますます、まさに”Xデイ”が近づいてくると、家で寝てても勝手に
やってきたりする。
自分は夜勤があったりするものだから、早めに夕ご飯食べて夜半前に
夜の部で出勤するまでの間は、寝なきゃいけないのです。
自分のうちはアパートの一番端っこなんですけど、遠くのほうから各戸を回る
軽やかなタンバリンとその頃には聞き飽きて少しもホーリーな気分にならない
クリスマスソングを押しかけで歌って、いくばくかのお金を集金してく一団が
やってきます。
タンバリン持ってんのと、ホーリーな顔してお金を持ってくっていう分だけ
新聞の勧誘の人(サイパンにはいないけど)よりタチがよくない。
それこそ何の宗教だってくらい。
それは自分にだって純真な、クリスマス大好き!な幼少の頃はありました。
靴下はおっきいほうがいっぱい入るからってオヤジの通勤用のちょっと
先っぽが穴あきかけみたいな靴下を枕元に置いて寝てみたり、
兄貴とどうやったら寝ないで持ちこたえられるかを研究したりして楽しく
クリスマスを過ごした時期もあるにはあったのです。
一度なんかクリスマスの何日か前に両親がプレゼント隠してそうなとこ
目星を付けて押入れから見付け出すといったコザカシイこともして、
お袋が、”きっといい子にしてたからサンタさんが2日早くプレゼントくれたん
だよ”って多分言ってるほうも取り繕いようもなくドッチラケな事を言わせてた。
ただ、一貫してそこにあったのは、自分はいい子だからサンタは必ず
やってくるそれが両親だとしてもっていう不動の確信。
それが年を重ねるにつれ、大学生とかになるとクリスマスの日に早く家に
帰ってボリボリお尻なんか掻きながらテレビみてたりすると”この子は
どこにも行くとこないのかしら”的なお袋の哀れみを帯びた視線が気になる
ようになり、結局用もないのに師走も押し迫った街中を徘徊せざるを得ない
ような惨事に。
その頃、世間様はバブル真っ盛りで、いい年の若いもんがクリスマスを
家族といわんや一人で過ごすなんてことは人に非ず日本人の恥みたいな
扱いでフェラーリが事故って3億円ってニュースが全世界に配信されるのと
同等レベルで情けないことになってたのです。
なんて楽しいクリスマス!
たとえ麻生裕未が一人、夜の雑踏でクリスマスケーキを売ってても
三上博史が上目遣いで迎えにきてみたり、夕食を作ってると君が欲しがった
椅子を抱えて爆走してくる稲葉浩志が現れたり、駅に着いてみればオヤジに
ぶつかりながら柱の影で待ってる牧瀬理穂がいたり、深津絵里が異常な
白塗りで変な帽子被ってたとしてもパントマイム踊りながらやってくる青年が
登場したりと、そういうのが正しいクリスマス。
シンデレラがエキスプレス便でウハウハなのです。
いい子のとこにしかサンタさんはやって来ない。
そうやって記憶が始まる前くらいから刷り込まれて育った自分のような
非モテキャラには人格の全否定。
いい子にしてなかったから今年のクリスマスは中止に
なっちゃったんだ・・・ってリフレインが叫んじゃったりするのです。
3度のメシよりクリスマスが好き
サンタさんの養子になりたいのボク。
なんせテレビの前でお尻掻いてるだけで犯罪者扱い。
何度泣きながら明石家サンタに電話しようと思ったことか。
きっと君は来ないっつったって、そもそもかつては一緒にいたであろう”君”
ってのが最初から存在しないのだから心深く秘めた思い自体が成立
しようもない。
非モテ=クリスマス、嫌い!
っていうカテゴリー層を生み出した当時の日本の経済活動、その刹那的
杜撰なマーケティング戦略、そしてホーリーの名の下にその部分に対する
ニッチなベンチャーもなんかお互い情けなくなるだけだから生まれにくい
恣意的な選民思想が現在の日本経済の停滞を早くも予兆していたのでは
ないか!?
念のため、も一回くらい言っとこ。
ビバ!クリスマス
by yoshi