BULA!
フィジーっていつ頃から人が住み始めたかご存じですか?
文字や年代を特定する遺跡など残っていないので正確には言えないのですが、
おそらく紀元前1300年ごろと言われていますが、
伝説では8000年前からとも・・・(誤差が4000年以上あるのですが、どちらが正しいのでしょうか?)
どこからやって来たの?
元々はアフリカの東海岸辺りから出発し、東南アジアの島しょ地域を経てパプアニューギニア
などの南太平洋島諸島も通りフィジーに辿りついた人たちと、
フィジーの隣国のトンガから移り住んできたポリネシア系の人たちがいたそうです。
フィジーには
ソフトウエイビーや、直毛の人もいます。
こちらの人たちはポリネシア系の人たちが多いです。
フィジーは人種的には メラネシア系なのですが、文化はポリネシア文化圏の中に位置しており、
ハワイ、トンガ、サモアと似たような伝統文化があります。
島を発見した人たち
17世紀になるとヨーロッパから航海探検家がやってきます。
最初の発見した人は1643年オランダのアベル・タスマンと言われています。
それから色々な探検家が寄港してきましたが、
フィジーの大部分を発見したのはキャプテン ウイリアム・ブライで、
この人は乗組員の反乱によって放逐されました。それが「バウンティ号の反乱」で1789年の事です。数日間漂流したことによってフィジーの島々を発見し、のちに地図まで作成したのだそうです。
発見したが良いが困難が・・・
ブライ以降も色々な人たちがやって来たのですが、当時のフィジーの人たちには
食人習慣があり、ヨーロッパの航海者にとってはフィジーはとても凶悪な恐ろしい国だったので、
本格的に入植がはじまるのは19世紀になってからとなります。
ちょっと怖い写真ですが、食人の儀式・・・
ちなみに、フィジーは当時から食べ物はあり、飢餓に陥っているからの食人ではなく、
あくまでも儀式としてだったそうです。勝った部族は負けた部族の肉を体に入れる事で
パワーを貰うと信じられてきました。
部族同士の争い キリスト教の布教
19世紀になり、キリスト教の宣教師たち、商人たちも来島。
それと共に銃も持ち込まれ、フィジーの部族たちにも混乱を招きました。
当時大きな部族は6つあり常に争いを繰り広げていたのですが、ついに、
バウ族のザコンバウ王が統治し混乱を鎮めました。
ザコンバウ王はクリスチャンに改宗し、人々も続きました。
イギリスの植民地に
1871年にザコンバウ王はフィジーの王として認められ、1874年にはイギリスに植民地として
フィジーから申し入れをしました。
これはフィジーがまだ部族同士の争い時代に、当時居たアメリカ人に達に被害が及んだと言う事で莫大な損害賠償を訴えられ、フィジー内では到底払いきれないのでイギリスに半ばお願いするようにイギリスにフィジー譲渡を申し込んだのだそうです。
イギリスの植民地が始まってからサトウキビ産業が始まります。
当初はフィジー人に頼んでいたようですが、のんびりやでマイペースのフィジー人は
思ったように働いてくれず(笑)当時のイギリス領インドから労働者を募集しました。
5年働いたら、帰りの船代も出ると言う条件だったのに、殆どの人たちはフィジーに
残ったと言います。そして今では国の40%ほどの人たちがインド系の人たちとなり、
フィジーの経済を支えています。
フィジー独立
96年間のイギリスの統治を経て1970年にフィジーは独立をしました。
ユニオン・ジャックはイギリス連邦の一員であること、
水色は太平洋を意味しています。
黄色いライオンはイギリス王室の象徴ですちなみにこのライオンはココナッツを抱えています。
赤い十字はイングランドを現わすst ジョージだそうです。
そのなかに特産物のサトウキビ、椰子の木、バナナ、そしてオリーブの枝をくわえた鳩は
平野のシンボルとして描かれています。
旗のモチーフはイギリスの軍艦旗だそうです。
昨年2020年は独立50周年を迎えました。
2020年独立50周年式典
とてもざっくりでしたが、フィジーの歴史でした。
昔、島々を移動していた時に、アウトリガーカヌーに食料を入れて航海をしていた
南太平洋の人たち。
一番重宝されたのはココナッツです。飲料水に適していたのです。
中は真空状態になっているので雑菌も入らず衛生的で日持ちもします。
そして、ココナッツにはビタミン、ミネラルも豊富なので何個も積んで行ったそうです。
ココナッツは食用だけでなく、さまざまな使いかたがあるんですよ✨
次回はフィジーのココナッツについてお伝えします
ココナッツ関連製品、
そしてオセアニア地域の身体に優しい商品沢山紹介しています💛
https://his-nature.com/
是非ご覧ください