3週間に及ぶ長い戦いもようやくパリシャンゼリゼにて幕を閉じました。
前日の土曜には、モン・ヴァントゥ (Mont Ventoux) の頂上がゴールとなりました。
このモン・ヴァントゥという山、標高は1909mでそれ程高そうに見えないのですが、山の名前にvent (風) という字が含まれているだけあり、南仏特有のミストラルという強い風が吹き、「死の山」とも言われているそうです。
おまけに、以前ツールドフランスのコースになったことが何度かあるようですが、1度死者を出している、という恐ろしいコースでもありました。(死因はいろいろ推測されたようですが、最終的には熱中症ということになったそうです。)
そんな死の山に挑んだ翌日が、シャンゼリゼでのゴールになります。
選手達は3週間の疲れも溜まり、疲れているのではないかと心配していましたが、優勝者も既に決定していたので、(マイヨ・ジョンヌは、ツール2勝目、スペインのアルベルト・コンタドール)、最終日は例年通りシャンパンを飲んだり、写真を撮ったりしながらの、のんびりとしたスタートとなりました。
ツールドフランスのスケジュールでは、シャンゼリゼ到着が午後16時過ぎ。
午後14時を過ぎた辺りで、私も観戦に出かけました。
例年、シャンゼリゼ大通りで観戦するのですが、今年はもっと手前のチュイルリー公園前のリボリ通り沿いで観戦してみました。
ルーブル美術館の辺りから、道路が封鎖されています。
まだこの辺りは人もまばらです。
(写真右がルーブル美術館↓)
リボリ通りのお土産屋さんは、ツールドフランス一色!
シャンゼリゼよりは混雑していないかと予想していたのですが、予想以上の混雑具合でした。
シャンゼリゼ大通りの広い歩道と異なり、その半分以下の幅のリボリ通りは、人が溢れてしまってなかなか前にすすめません。。。
すでにキャラバン隊が到着しているので、観光客も足を留めて立ち止まっています。
1本裏のサントノーレ通りに出てから、チュイルリー公園辺りで再びリボリ通りに出ました。
とそこは、サポーターのトラックが駐車していて、全く道路が見えないのでその道路沿いには人が余り居ませんでした。
そこにいる人に尋ねると、このトラックはレース前には立ち去ってくれるということで、さっそくその場所をキープ!
ちょうどホテルBrightonの真正面でした↓
このホテルのリボリ側の部屋に泊まったら、ツールドフランスが部屋から生で観戦できる絶好のロケーションなのでしょうね。。。
しばらくしてトラックがいなくなると、一気に目の前のビューが開けました。
2時間前ぐらいに来たにもかかわらず、一列目をゲット!
キャラバン隊はまだ続いています。
最終日、パリへ戻ってきただけあり、スポンサーの人たちも前回イスーダンで見たときより数段ハイテンションになっていました。
キャラバン隊の数も倍以上ありそうでした。
予定時刻から30分以上経過したころ、ようやく自転車集団が到着!
これからシャンゼリゼを8周します。
1周目は、比較的ゆっくり1列になって流して走っています。
2周目からは数人が飛び出しました。後ろの集団とかなり間が開いています。
それでもシャンゼリゼよりはリボリ通りの方がゆっくり走っているようです。
昨年シャンゼリゼ大通りで見たときの方が格段にスピードが上がっていました。
最初に飛び出した集団の中に、日本の別府選手がいました!
観戦していたときは、スキルシマノのユニフォームで日本人みたいな人が先頭集団にいる、ということしか分かりませんでしたが、後でニュースで読んだら別府選手でした。
7周目が終了しても2,3番目ぐらいのところを走っています!
普段中継のアナウンスで、ジャポネ(日本人)という言葉は殆ど出てこないのに、この日はアナウンスもジャポネジャポネを連発!
隣で観戦していたフランス人のツールファンのおばさん2人も、ジャポネって言ってるわよ?
あなた達もジャポネ?とちょっと興奮気味でした。
後ろの集団とも結構間が開いていたし、後1周だからこのまま3位に入れるかも・・・
と私たちも興奮していたのですが、結局最終のターンで通過した時にはあんなにあった間が、あっという間になくなり、混戦状態に!
先頭集団に居た日本人別府選手も、先頭の方には見当たらなくなっていました。
残念でしたが、別府選手は最後のがんばりが評価され、最終ステージで敢闘賞を獲得したようです。
確かに、シャンゼリゼに来ていた日本人を大いに感動させてくれた走りでした。
3周目の様子。トップ集団の中に別府選手がいます(多分)。
早すぎて見えませんでした。。。
しばらくしてからの第二集団。
緑のジャージ、マイヨベールと黄色のジャージ、マイヨジョンヌが走っているのが見えました。
ツールドフランス2009の結果です。
●マイヨジョンヌ アルベルト・コンタドール(スペイン)
●マイヨヴェール トル・フースホフト(ノルウェー)
●マイヨアポワルージュ フランコ・ペッリツォッティ(イタリア)
○マイヨブロン アンディ・シュレク(ルクセンブルグ)
ちなみに、以前ツール7連覇を達成し、3年間ツールに出ていなかったランス・アームストロングは個人総合で3位でした。
チーム総合優勝は、カザフスタンのアスタナ。
マイヨジョンヌを獲得したコンタドールや、ランス・アームストロングが所属するチームでした。
(HISパリ支店 NI)