現地情報・STAFF体験記(日本)
2013.08.11
このクルーズツアーは横浜を出発して最初の寄港地は青森になるのですが、今回は北海道ネタです。
第二の寄港地、小樽。
車や汽車(北海道はディーゼル車両が多いのでこのように呼びます)でほんの30分から1時間でアクセスできるのです。
子供の頃から休みの日に家族で遊びに行った身近な隣町です。
今でこそ大きさでは札幌に負けていますが明治から大正にかけて、この町は北海道経済の中心的役割を果たしていたそうです。
その証拠として小樽には金融街の名残を示す建造物が多く残されています。
新鮮な魚介類やいろんなお菓子の楽しめるグルメの町としても有名です。(元々はニシン漁で栄えた町です)
札幌から小樽の大学に通うことになりました。
まぁ、このことがたくさんの魅力を発見するきっかけとなりました。
ところで、皆さんは小樽にゆかりのある有名人、どのくらいご存知ですか?
割と新しいところですと石原裕次郎さんでしょうか?
小樽には石原裕次郎記念館があります。
少し古いところですと小説家の小林多喜二や伊藤整でしょうか?
でも、意外と知られていない有名人がいるんですよ。
江戸から明治にかけての動乱期に活躍し、近代日本の形成に大きく貢献した人物。
新撰組が好きな方なら一度はその名前を耳にしたことがあるのではないでしょうか。
榎本武揚は江戸時代に今の東京台東区御徒町に生まれました。
榎本はあのジョン万次郎の私塾で英語を学んだり、地図で有名な伊能忠敬に弟子入りしたり、オランダに留学したりと当時の日本では最先端とされる教育を受けていたのです。
徳川幕府が黒船に対抗するためにオランダに発注し、勝海舟が回航した軍艦、開陽丸の名付け親も榎本武揚です。
新政府軍に江戸を追われた榎本武揚は新撰組副長の土方歳三らとともに北上し、箱館(函館)の五稜郭に入城します。
ここで榎本は蝦夷共和国の樹立を宣言しました。
ここで榎本がすごかったのは単なる反逆軍としてではなく、独立した団体としての存在を列強各国に認めさせたことでした。(実際にその評価に対しては諸説あるようですが・・・。)
国際法に通じていた榎本は様々な答弁を駆使して形式上でも独立した団体の体裁を保つことに成功します。
欧米列強に中立を守らせることで、新政府軍に加勢されないことに成功したと言えます。
しかし、徐々に劣勢になり、虎の子の軍艦・開陽丸を渡島半島西端の江差沖で失い、土方歳三の戦死を経て戊辰戦争は終結しました。
その後、榎本武揚は新政府軍に捕えられ、普通ならそこで反逆者として死刑になるはずでした。
榎本武揚の成した仕事で今でも我々がその名残を目にすることがあります。
初代通信大臣を務めた榎本は郵便業務の徽章を 「 〒 」 と定めました。
あの「 〒 」マークは土方歳三らと戊辰戦争を戦い抜いた一人の男が作ったものなんですね。
と、これだけの歴史の表舞台と裏舞台に登場した榎本武揚がなぜ小樽に縁があるのかなんですが、黒田清隆に救われてすぐの明治五年の開拓史として北海道に赴任したことが始まりです。
小樽が輸出入の港湾として最適な造りであることを見抜き、小樽の町の造成が始まりました。
その縁の神社が小樽駅のすぐ近くにあります。
龍宮神社です。
もともと東京・江戸出身の榎本武揚ですが、人生で大きな仕事を二度も北海道で行うわけです。
新撰組の土方歳三に比べて知名度がそれほど高いわけではありません。
でも、この激動の時代に近代日本の礎を築いた人が造った小樽の町を龍宮神社の近くの坂の上から見下ろしてみませんか?
江差沖の開陽丸の艦上から見えた北海道の景色が、このクルーズ船から見えるかもしれません。
</p>
<p>お問い合わせは<a href="http://www.his-kaigaihatsu.com/blocks/index/00044" target="_blank">こちら</a>
Facebook <a href="https://www.facebook.com/likefreedomtravel.jp" target="_blank">いいね!海外自由旅行</a>
<a href="https://mobile.twitter.com/his_kaigaihatsu" target="_blank">Twitter</a>
新宿本社営業所 <a href="http://www.his-kaigaihatsu.com/" target="_blank">海外発航空券デスク</a>
TEL 03-5360-4909
営業時間
平日 10:00~18:30
土曜日 11:00~18:30
日曜日・祝日 11:00~18:00 <!-- google_ad_section_end(name=s1) --><!--entryBottom-->