ヴェネツィアの華やかなイメージとは少々対照的な地区です。
「ゲットー(Ghetto)」とは、その昔キリスト教徒がユダヤ教徒を迫害していた時代に、唯一ユダヤ人が住むことを許可されていた隔離された地区のことをいいます。
ヴェネツィアのそれは16世紀初頭に確立したものでヨーロッパ最古とされています。
中世のキリスト教徒間では宗教上の理由から、金銭を扱う(貸与して利子で儲ける)商売を罪悪だとしていたため、ユダヤ人が金融業の全般を担うようになります。
十字軍の遠征後、イタリア商人、いわゆるキリスト教徒の資本家が力をつけてくると、貿易・商売に関する商人の世界からユダヤ人は締め出しをくらう形となり、それまでは商業全般に携わっていたユダヤ人たちも、暗黙の了解で許されていた闇の金融業に走らざるを得なくなりました。しかし、それはいわゆる消費者金融まがいの商売であったことから、ユダヤ人の金に対する「悪徳」イメージが固定化。それによりカトリック教会からは街からの強制退去を強いられ、この地区に押し込まれるようにして生活せざるを得なくなったとされています。
ゲットー内には「シナゴーク(ユダヤ教会堂)」や学校なども設置され、その地区内での生活・文化が孤立する形となりました。しかし、その教育水準はかなりの高さに保たれていたようです。
ここヴェネツィアで誕生したゲットーは、瞬く間にヨーロッパ中に広まり、その後約300年間、第2次世界大戦後まで存続しました。
ゲットーでは他地区と隔離するための高い塀で囲まれていることが特徴で、壁外とを結ぶ出入り口となる門は2つ以上設けることが禁止され、その鍵はキリスト教徒の門衛が保管していたそうです。
ヴェネツィアのゲットーの門もただひとつしかなく、夜は門に鍵がかけられていたようです。もちろん現在は鍵をかけられることもなく、誰でも通行可能。ここに足を踏み入れたからといって行き止まりにあたることもありません。
今でも当時の面影を残し、広場に面した住居は、狭い空間にできるだけ多くが住めるように工夫されているのがわかります。
人口が増えると必然的に上へ上へと建て増しされ、天井が通常よりも低い造りとなっているのが、外から見える窓の階層の多さで見てとることができます。
また、ユダヤ教のシンボル「ダビデの星」を目にしたり、
ユダヤ人迫害に関するモニュメントがあったり・・・。
異文化を感じます。
今は建物の一部がユダヤ人博物館として開放され、この地区内の観光ツアーも開催されています。
ユダヤ人特有の黒い帽子をかぶり髭を生やした黒ずくめの格好をした人が観光客の対応をして観光用にも公開されています。
また、この区内にはカフェ、レストラン、パン屋さんなどもあるので、ユダヤ文化に独特の食べ物などを見つけることもできます。
ひと味違ったヴェネツィアの楽しみ方もできます。
写真のお菓子はこの地区のパン屋さんなどで見かけるもの。
「インパーデ」というアーモンドの粉と小麦粉を混ぜた焼き菓子です。
食べ応えのあるずっしりとした素朴な味わい。
大通りから少しはずれ、街の中心からもずれた場所に位置するその一角は、他地区とは少々一線を画したひっそりとした雰囲気を今もなお残しており、足を踏み入れると少し違う空気の流れと歴史を感じることができます。
鉄道駅「サンタ・ルチア駅」を出て左側にのびる大通り「スペイン通り」を道なりに歩き、初めの大きな橋を渡ったたもとの道(運河沿い)をすぐに左に折れます。そこから間もなくの細い通りを入るとこのゾーンに入ります。
記事写真提供:白浜さん