フィレンツェの守護聖人は「洗礼者ヨハネ(San Giovanni Battista)」です。
ドゥオーモの前にある八角形の建物はその聖人の名を冠した洗礼堂。
多くの方には「天国の扉」のある建物として知られていると思います。
ミケランジェロが絶賛したという
ギベルティ作の東扉(天国の扉)がすばらしいのももちろんですが、
洗礼堂内部も時間があったら是非入場していただきたい観光スポットのひとつです。
建築物としてはメイン扉はドゥオーモに面した東扉(天国の扉)で、
西側には扉はなく、そこに主祭壇が置かれています。
実はドゥオーモよりも歴史は古く、
古代ローマ時代(紀元1世紀)の軍神マルスを祀った神殿の遺跡を再利用して
4-5世紀頃に建てられたといわれています。
1128年に公式にフィレンツェの洗礼堂として認可され
1150年以降に外壁が大理石で装飾されたと伝えられています。
内部の床モザイクが完成したのは1209年です。
1500年代にはメディチ家の男児の洗礼式などもここで行われています。
フィレンツェの中でも長い歴史を持つ建物の一つなのです。
現在、観光入場用には北扉が利用されており
洗礼堂内に入ると、まず天井のきらびやかなモザイクの美しさに息をのみますが、
このモザイクは1270年から1300年にかけて制作されたものです。
天井八面全てが背景金箔のモザイクで覆われています。
西側の面には大きなイエスキリスト像が描かれ、
その周辺が「最後の審判」のシーンになります。
キリストの足元では死人が蘇生し、最後の審判を仰ぎ、
キリストの右側に正しい人々が聖書の登場人物に迎えられ天に上る様子が、
左側には不正な人々が地獄に送られるシーンが描かれています。
それ以外では八角錐の一番外側から
洗礼者ヨハネの生涯、
聖母マリアとイエスキリストの生涯、
ヨセフの生涯、
旧約聖書にまつわる逸話、
天使列順
となっています。
この壮大なモザイクを実現するために
当時モザイクの最先端技術を保有していたヴェネツィアの職人が関わったとも言われています。
主祭壇に向かって右手、北扉から入場すると右側に
大理石と金メッキブロンズでできた墓碑があります。
フィレンツェで亡くなった対立教皇ジョヴァンニ23世の墓碑で、
1420年代にドナテッロとミケロッツォが手がけていることでよく知られています。
なかなか時間がないと、行く機会もない洗礼堂内部ですが、
機会のある方は是非足を運んでみてください。
サン・ジョヴァンニ洗礼堂
開館時間 11:15-19:00
日曜日 8:30-14:00、毎月第一土曜日8:30-14:00
イースターマンデー、4月25日、5月1日 8:30-19:00
休館日:1月1日、復活祭、9月8日、12月24・25日
入場料:5ユーロ
<<おまけの話>>
気づいた方は少ないかもしれませんが、
天国の扉の脇に
なんとなく不自然に置かれた二本の赤褐色の斑岩の柱があります。
ピサは1114年に地中海沖スペイン・バレアレス諸島周辺に遠征し
イスラム軍を相手に海戦を繰り広げていました。
このピサの留守を狙って
隣のルッカがピサに攻撃を仕掛けそうになり、
仕方なしにピサは犬猿の仲であるフィレンツェに援軍を要請します。
フィレンツェが手を貸したことに対するお礼にと
イスラム軍から奪い取ってきた戦利品のなかから
好きなものを贈りますとということになり、
赤褐色の柱が選ばれました。
ピサから盛大なパレードを伴い仰々しく運ばれてきた赤褐色の柱は
その包みを解いたときには粉々に割れていて、
しかも真っ黒になるほど燻されていたという逸話が残っています。
昔から対立し、仲の悪かったピサとフィレンツェの関係を表し、
「フィレンツェ人はめくらでピサ人は裏切り者」
ということわざの元になった柱なのです。
BY LAYLA