マルコ・ポーロは言わずと知れた、
『東方見聞録』の口述者(著者は本人ではないとされています)。
ヨーロッパへアジアの国々の様子を初めて紹介した重要な人物です。
彼の生誕及びヨーロッパから中近東、アジアを巡る長い旅、
そして同書については今もなお明確でない部分も多くあるようですが、
彼が17歳の時に商取引を職としていた彼の叔父のマッテオMatteoと
父ニッコロNiccolòに連れられ、1271年にヴェネツィアを出発。
24年後の1295年にヴェネツィアに戻り、
その当時、対抗していたジェノヴァとの交戦に兵士として従軍したマルコは
ジェノヴァに捕らわれ、
投獄中に口述した自らの長い航海と
その際に見た未知のアジアの国々のことを書き留めたのが、
ルスティケロ・ダ・ピサと言われています。
マルコ自身は代々のヴェネツィアの商家に生まれた、
非常に才能に長けた人物であったとされています。
現在残されているマルコ・ポーロの家だとされているこの建物は、
1597年に起きたヴェネツィアの大火事のために焼失してしまったので、
当時のものではありません。
原型は残されていませんが所在地はそのままに、
1834年にソプラノ歌手、マリア・マリブランMaria Malibranによって、
彼女の名を冠したテアトロとなって現在に残ります。
ですので、現在言われているマルコ・ポーロの家は
当時の面影はなく、
建物自体に特筆するべき美しい装飾や
マルコ・ポーロに由来するものがあるわけではありません。
じっくりと観察される機会は少ないかもしれませんが、
ゴンドラでヴェネツィアの運河を巡り行く途中には、
必ずやこの前を通り
「ここがマルコ・ポーロの家です!」と説明を受ける名所でもあります。
そして、マルコ・ポーロの家を訪れるのであれば、
ぜひ興味を持って見ていただきたいのが
この建物のすぐ近くにある小広場です。
コルテ・デル・ミリオンCorte del Milionと呼ばれる小広場
(本当に非常に小さな空間)と、
その脇から出るソットポルティコ(建物と建物の間に造られた通路)をくぐると、
コルテ・セコンダ・デル・ミリオンCorte Seconda del Milionと呼ばれる広場へ。
ソットポルティコ。
コルテ・セコンダ・デル・ミリオン。
前者は現在飲食店の店先となっているだけですが、
後者は11-12世紀のヴェネツィアの建築物に非常に多く見られる、
大理石の装飾とを組み合わせたヴェネト-ビザンティン様式をモチーフにした建物に囲まれた空間となっています。
同広場の名「Milion(ミリオン)」はもともと「Emilion(エミリオン)」という名で
それを発音しやすく短縮したものだと推測され、
ポーロ家の屋号的な名であったとも言われています。
この広場もマルコ・ポーロの家の中庭的な存在であった
という話も耳にしますが、推測の範囲内ということに留めたいとは思います。
広場の中央に立ち周囲を眺めると、
各所に施された細かい大理石彫刻、
barbacari(バルバカーリ)と呼ばれる木製の軒下建築、
壁や窓枠などに組み合わせられている付け柱、
patere(パテーレ)と呼ばれる円の内側に動物をモチーフとした浮き彫り彫刻など、
一見見落としがちな装飾が多く見られます。
そして、ヴェネツィアの広場にはほぼ100%の確立で存在する井戸pozzo(ポッツォ)も。
ヴェネツィアのメインの観光スポットからは奥まった静かな穴場的名所です。
場所はリアルト橋、
Campo S. Bortlomeo(サン・ボルトロメオ広場)側、
小さなサン・ボルトロメオ教会の手前を左手に小さな橋を渡りながら少し行った先、
小さな運河を目指して歩いてみてください。
記事&写真提供:特派員 白浜亜紀 こちらもチェック