トルチェッロ島はヴェネツィア本島の北西側に位置します。
本島からはフォンダメンテ・ノーヴェからヴァポレット(水上バス)に乗り、ブラーノ島で乗り換え、ブラーノ島ヵら10分弱で到着します。ちょっとした船旅気分にて本島からの船旅、乗り換えも含め約1時間弱ほどでしょうか。
ヴァポレットを降りて島の中心に向かう一本道をのんびりと歩きます
ヴェネツィアを覆うラグーナ(潟)に浮かぶ島々は、古くローマ時代には人が生息していたとされ、そのうちのひとつトルチェッロにも4-5世紀には住人がいたと言われています。
5世紀後期には、騎馬民族であるフン族の襲来を逃れるため、陸地から非難してきた人々が実際に言われる同島の住民の起源といわれており、ヴェネツィアの町の形成の起源とされています。それらの人々は、アルティーノ(ローマ時代に交通の要所として栄えていた、ヴェネツィアの北側に位置する内陸の町)からの逃避人でした。
さらに7世紀に入り、北欧由来のロンゴバルド族の襲撃を避けるべく、アルティーノの司教の聖遺物がここに運ばれ、司教座としてサンタ・マリア・アッスンタ聖堂建築が始まります。
その頃には土地の開拓も進み、農作物の栽培、商業活動も盛んになり、最盛期には島の住民の数も2万人までにもなりました。ヴェネツィアの重要な役人たちの居住地などに指定され、そして、商人の町として確実に変化しつつあるヴェネツィアの玄関口として、貿易の拠点となり、島は発展します
しかし、15世紀以降に蔓延したペストの大流行により、島での商業活動も中止され住民の離島により島は孤立、衰退を始め、それまでの精彩は影を潜めます
その後世紀を重ね、マラリアの蔓延などもあり、さらに住民も減少するなどし、現在ではヴェネツィアの一離島となっています。
島の見所としては、前述の7世紀が起源のサンタ・マリア・アッスンタ聖堂。
9世紀、11世紀に大改修が行われ、現在見られる姿のほとんどは11世紀のものです。聖堂内のモザイクは圧巻で、見る価値の非常に高いもの。床の細かなモザイクは約10種の色大理石で幾何学模様が描かれた大変に見事なものです
壁装飾としては、正面祭壇の金モザイクを背景とした聖母子像と12使途には非常に多くの称賛を受けています。また、祭壇と向き合う形となっている大聖堂主扉(通常は閉まっています)上の大作である「最後の審判」など、一度は訪れるべき、見るべきものだといえるでしょう。
回廊も静けさのある美しさ。聖堂前にある円形状となっている石積みは、7世紀の礼拝堂の遺構。
大聖堂の右手、ヴァポレットの停船場から広場まで出て、大聖堂よりも始めに見える教会が、サンタ・フォスカ教会。
11-12世紀のものです。
その正面には、大理石の椅子。
騎馬民族であるフン族の王であるアッティラが実際にここに座ったのかどうかは不明ですが、これは“アッティラの玉座”として有名なものです。
この広場に到着するまでには何軒かのレストランもありますので、ヴェネツィア本島とは少々趣の異なる、静かな島巡りのひとつとして、昼食がてらに訪れることもお勧めします。
そのうちの一店、こちらは
『オステリア・アル・ポンテ・デル・ディアヴォロOsteria al Ponte del Diavolo』。
ヴェネツィアらしく魚介を使ったメニューを中心に、非常にゆったりとしたスペースでゆっくりと食事が楽しめます。
店名に冠されているポンテ・アル・ディアヴォロとはディアヴォロ(悪魔)橋。同島に架かる橋の前にあることから。橋が目印でもあります。
ちなみにこの形の橋は、現在ヴェネツィアに数多くある橋の原型とも言われており、ゆるいカーブと段差、そして欄干がないのが特徴。その昔は本島の橋もこのような形が主流でした。馬が通るためにはこのようなゆるやかな段差である必要があったからでしょうか。
ヴェネツィアご訪問にぜひ一日余裕を持たせ、ヴェネツィアの島巡り、お勧めです。
記事&写真提供:特派員 白浜亜紀 こちらもチェック