こんなところにその昔の日本人上陸の面影が... と驚き
支倉 常長 氏が当時がどのような苦労を経てロ-マ
チヴィタベッキアへ 上陸したのか
宮城県 石巻市の月の浦を出発してなんと2年後()
にロ-マ郊外のチヴィタベッキアに到着
途中 スペイン国王会ったりと総勢180名の通商団体
で欧州へと向かったなんて昔はスケ-ルが違いました。
このチヴィタベッキアはロ-マテルミニ駅から
ロ-カル線でおよそ40分です。
今ではイタリアを代表する港町となり多くのクル-ズ船が
出帆する港でしたが 飛行機も無い時代はそれはかなりの
賑わいを見せたのでは?
支倉 常長 氏 の他に このチヴィタベッキア は
日本二十六聖人 についても関連する地で
国鉄チヴィタベッキア駅前の通りにある 【日本聖殉教者教会】
には1597年に豊臣秀吉の命で命を落とした日本人を中心とする
キリスト教徒についての壁画が描かれています。
1862年に聖人となった12歳から64歳の
信者そして協力者は 当時耳たぶを切り落とされる
などして市中引き回しに遭いその後長崎で処刑されたそうです
ロ-マ時代の歴史とは又違った歴史の一こまを
見つけることが出来るイタリアの情報収集は是非
更に使いやすくなりました
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2007/09/28 13:35 UTC 版)