観光 2008.03.24

こんなところにその昔の日本人上陸の面影が... と驚きeye


こんなところに 日本人の像が??




支倉 常長  氏が当時がどのような苦労を経てロ-マ

チヴィタベッキアへ 上陸したのか 

宮城県 石巻市の月の浦を出発してなんと2年後(sign03)

にロ-マ郊外のチヴィタベッキアに到着

途中 スペイン国王会ったりと総勢180名の通商団体

で欧州へと向かったなんてsign01昔はスケ-ルが違いました。


チビタベッキアの昔の港跡


こんなル-トでその昔ロ-マへ!



このチヴィタベッキアはロ-マテルミニ駅から

ロ-カル線でおよそ40分です。


今ではイタリアを代表する港町となり多くのクル-ズ船が

出帆する港でしたが 飛行機も無い時代はそれはかなりの

賑わいを見せたのでは?


支倉 常長  氏 の他に このチヴィタベッキア は

日本二十六聖人  についても関連する地で 

国鉄チヴィタベッキア駅前の通りにある 【日本聖殉教者教会

には1597年に豊臣秀吉の命で命を落とした日本人を中心とする

キリスト教徒についての壁画が描かれています。


桃山時代ルックのマリア様とキリスト様


教会の天蓋に描かれる和風のマリア様とキリスト様


1862年に聖人となった12歳から64歳の

信者そして協力者は 当時耳たぶを切り落とされる

などして市中引き回しに遭いその後長崎で処刑されたそうです


1597年 のキリシタン弾圧


日本の歴史キリシタン弾圧


日本の26聖人 殉教400年


ロ-マ時代の歴史とは又違った歴史の一こまを

見つけることが出来るイタリアの情報収集は是非 

こちらでエイチアイエスイタリア 新ホ-ムペ-ジ

更に使いやすくなりましたup


支倉 常長 チビタベッキアに初上陸


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2007/09/28 13:35 UTC 版)

同じテーマ「」の記事

もっと見る →

    コメントを投稿

    

    HIS イタリア支店

    2025.04
    loading...