「アルセナーレ」は、ヴェネツィア本島の東岸に位置するヴェネツィア共和国の国立造船所です。
縫帆工場、火薬工場、鋳造・鉄鋼工場などの工場が立ち並んでいたとされ、今も残る500年前の古い地図を見ても、ヴェネツィア本島におけるアルセナーレの土地が占める大きさからも、当時の繁栄を感じ取ることができます。
「アルセナーレ」の語源は、「daras-sins’ah」というアラブ語。イタリア語に直すと「casa d’industria=製造所」というところでしょう。
「アルセナーレ」はヴェネツィア共和国の繁栄とともに、造船事業もかなりの財力、事業力、政治力が投入されていました。なぜならば、「アルセナーレ」の歴史とその存在はヴェネツィア共和国の発展に深く影響があるからです。
ヴェネツィア共和国は海港貿易で栄えた国。その最も影響力の強い国が当時のビザンツ帝国、当時の首都はコンスタンティノープル(現在のトルコ、イスタンブール)です。
このビザンツ帝国は当時、世界の2/3の富を持つといわれていたほど裕福な国でした。この国の存在が、ヴェネツィア共和国の発展に躍進をもたらしたのです。
なぜかというと、両国の貿易では関税が完全免除となっており、さらには、ビザンツ帝国内にヴェネツィア商人の居住地を持てるという特権をも得ていたからです。
つまり、ヴェネツィアの商人は富裕のビザンツ帝国商人と肩を並べて同等の立場で商売ができたのです。
このような貿易上での特権を保有するための交換条件ともなっていたのが「アルセナーレ」。
当時の「アルセナーレ」は、一日に大型船一隻を造るほどの生産性を誇っていました。大小を合わせると2ヶ月で100隻の製造が可能だったといわれています。
最盛期には16000人もの工員が働いていたとされ、木を切る、板を張る、オールをつくるなどの作業が全て流れ作業で進められていました。さらには船の木材、ネジの一本に至るまですべての部品は規格が統一されており、作業の効率化は驚異的なものだったといわれます。
特に100人以上のオールで漕ぐ「ガレー船」の製造こそがヴェネツィアの得意とするところで、風の少ない地中海でも比較的安定した航行ができるので人気が高かったようです。
これらの漕ぎ手は全て政府からの賃金で雇われており、敵が攻めてきた際には一転して全員が兵士となり闘いに借り出されました。
ビザンツ帝国は自分たちの領地が面した地中海の警護を「アルセナーレ」をもつヴェネツィア共和国に任命したのです。その代わりの恩恵として、商業的な優位性をヴェネツィア共和国に与えたのです。
現在では内部はイタリア海軍の軍事施設となっているので、内部を見ることはできません。
しかし人の流れから少し外れたヴェネツィアの一部分を見ることができる静かなゾーンなので、落ち着いた散策をされたい方にはお勧めです。
ここ「アルセナーレ」のある地区は、ヴェネツィア本島では「カステッロ地区」と区域され、観光客の訪れる中心部とは少々趣きが異なります。
道も広く、自転車も行き交う、ヴェネツィアの中の大衆的、下町的な地域。家々の軒先から吊るされた色とりどりの洗濯物が海風にひるがえり、ヴェネツィア住人の日常が垣間見える場所でもあります。
さて、ヴェネツィアといえばこれからの季節はカーニヴァル!!
今年は2月14日から2月24日にかけてヴェネツィアが熱く燃え上がります。
伝統的な仮装をした人々が繰り出すヴェネツィアの街は幻想的ですよ!!
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