ヴェネツィアに人が住みつき、町となった最も古い場所とされているのがラグーナに浮かぶトルチェッロ島です。
その歴史はローマ帝国時代に遡り、5-6世紀のこと。
アルティナータと呼ばれるヴェネツィア近郊の原住民、そして主に西側ヨーロッパから民族移動により漂着したランゴバルド人が、同島の原住民とされています。
島は商人の町へと確実に変化しつつあったヴェネツィア共和国の玄関口として、近郊の島、マッツォールボMazzorbo、ブラーノBurano、アンミアーナAmmiana、コスタンツィーアCostanziaなどとともに、街として発展が始まります。
7世紀中期には、司教座として、サンタ・マリア・アッスンタ聖堂の建築も始まります。(現存の形として改築されたのは11世紀)この大聖堂は現在、この島の代表的な建造物として多くの人々を魅了しているもの。
大聖堂の壁、天井を埋め尽くすモザイクは圧巻です。
さて、この時代には、20,000人以上の住人がいたと記録されており、島にはガスタルドと呼ばれる土地管理人やポデスタ呼ばれる司法官などのヴェネツィアの役人の居住地として指定されるなど、ヴェネツィア共和国の重要な島として繁栄。
11世紀にはサンタ・フォスカ教会の建築も始まりました。
しかし、15世紀以降、当時ヴェネツィアで蔓延したペストがこの島を襲います。それ以前はローマ時代に建築された建造物からの石材などの切り出しも盛んに行われていたのですが、1429年にはドージェにより、これをも中断するように指令が出され、島は孤立し、衰退を始めます。
こうして、司教区はトルチェッロからムラーノに移され、更にはヴェネツィアがオーストリアの傘下となった1818年には、他地区と同様に単なるヴェネツィアの一区となったのです。
その後、再度マラリアが蔓延、さらに住民は急激に減少、19世紀には300名強、現在は20人弱ほどがこの島に住んでいるのみ。
ヴェポレット(水上バス)を降りると、草地が広がり、運河沿いに歩くとその先にヴェネツィアの橋の原型とされている、欄干のない独特の形状の橋、ポンテ・ディ・ディアヴォロPonte del Diavolo、そして世界の主賓も訪れる宿として有名なロカンダ・チプリアーニRocanda Ciprianiもあります。
トルチェッロ島への行き方
フォンダメンタ・ヌオーヴェからブラーノ島へ、そこでトルチェッロ島行きに乗り換え。
ブラーノ島からは数分で到着します。
ヴェネツィアの原形を思わせる草地が広がり、ヴェネツィアのまた違った一面を楽しめる素朴な島です。
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投稿: yu-yu -2009年12月22日 (火) 00時08分
■無題
私もVeneziaにいた時に行きました!静かで観光客も少なくいい場所でしたねヘ(゚∀゚*)ノちょっと本島から距離があるのでみなさんブラーノ島まで・・・という感じ。友達にもお勧めしていますよ( ´艸`)また行きたくなりました♪ -
投稿: his-rome -2009年12月23日 (水) 09時49分
■Re:無題
>yu-yuさん私もトルチェッロ島の静かなところが大好きです。サンマルコ広場あたりの雰囲気とはまた違うヴェネツィアを感じることができますよね。ヴェネツィアは昨日2009年の最高位を記録するアックア・アルタ(高潮)となりました。