フィレンツェがルネッサンス芸術の宝庫として、
世界に知られているのは
巨額な資産と権力で芸術保護を行った
メディチ家によるところが大きいわけですが、
その中でも特に、
メディチ最後の女性
アンナ・マリア・ルイザ・ディ・メディチの功績は大きく
彼女がいなかったら、
メディチ家の財宝は世界各地に散らばっていたかもしれません。
コジモ3世の娘で、プファルツ選帝侯に嫁いだ彼女は、
子供のないまま死別し故郷フィレンツェに戻りますが、
彼女の兄フェルディナンドも
弟ジャンガストーネも子供に恵まれず、
3世紀以上にも亘って長く栄華を誇ったメディチ家直系は
家系断絶目前となっていました。
様々な手が打たれたものの、家系断絶は免れない状況となり、
彼女が1743年にこの世を去る前に
メディチ家の後を継いでトスカーナ大公となった
ハプスブルグ・ロレーナ家と交わした契約で
「メディチ家の芸術コレクションや宝飾品が
フィレンツェにとどまり、
国家の財産として一般に公開されることを条件に、
全てのコレクションをトスカーナ大公に託す」と遺しています。
この遺言により、メディチ家のコレクションは
フィレンツェから門外不出となり、
この街を世界でも唯一無二の芸術の宝庫としているのです。
彼女が無くなった2月18日には
毎年フィレンツェでは彼女に敬意を示して祝祭が行われ、
様々なイベントが行われます。
2013年は彼女の死から270年、
これを記念してイタリア郵便から
記念切手も発行される予定です。
メディチ家の菩提寺でもあったサン・ロレンツォ教会の裏手、
メディチ家礼拝堂との間の小さなスペースに
彼女の自画像彫刻が置かれています。
残念ながら、現在(2013年2月)周辺整備中で
この場所で見ることはできませんが。
フィレンツェに数あるメディチ家由来の芸術品に触れる時には
少しだけ彼女のことも思い出してあげてください。
世界に知られているのは
巨額な資産と権力で芸術保護を行った
メディチ家によるところが大きいわけですが、
その中でも特に、
メディチ最後の女性
アンナ・マリア・ルイザ・ディ・メディチの功績は大きく
彼女がいなかったら、
メディチ家の財宝は世界各地に散らばっていたかもしれません。
コジモ3世の娘で、プファルツ選帝侯に嫁いだ彼女は、
子供のないまま死別し故郷フィレンツェに戻りますが、
彼女の兄フェルディナンドも
弟ジャンガストーネも子供に恵まれず、
3世紀以上にも亘って長く栄華を誇ったメディチ家直系は
家系断絶目前となっていました。
様々な手が打たれたものの、家系断絶は免れない状況となり、
彼女が1743年にこの世を去る前に
メディチ家の後を継いでトスカーナ大公となった
ハプスブルグ・ロレーナ家と交わした契約で
「メディチ家の芸術コレクションや宝飾品が
フィレンツェにとどまり、
国家の財産として一般に公開されることを条件に、
全てのコレクションをトスカーナ大公に託す」と遺しています。
この遺言により、メディチ家のコレクションは
フィレンツェから門外不出となり、
この街を世界でも唯一無二の芸術の宝庫としているのです。
彼女が無くなった2月18日には
毎年フィレンツェでは彼女に敬意を示して祝祭が行われ、
様々なイベントが行われます。
2013年は彼女の死から270年、
これを記念してイタリア郵便から
記念切手も発行される予定です。
メディチ家の菩提寺でもあったサン・ロレンツォ教会の裏手、
メディチ家礼拝堂との間の小さなスペースに
彼女の自画像彫刻が置かれています。
残念ながら、現在(2013年2月)周辺整備中で
この場所で見ることはできませんが。
フィレンツェに数あるメディチ家由来の芸術品に触れる時には
少しだけ彼女のことも思い出してあげてください。