ある人は茫然と立ち尽くした。
ある人はがっくりと椅子に座りそのまま動けなかった。
いつもは陽気でエネルギッシュな国キューバがひっそりと静まり返り、ひとりの英雄との別れを泣いた日…
誰もがその日がいつか来ることは知っていたけれどそのことは考えたくなかった…
11月25日夜、フィデル・カストロ前議長が亡くなりました。
自身は裕福な大農場主の息子として生まれながら弟ラウルやチェ・ゲバラをはじめ志を同じくする若い仲間たちと共に、貧しさに苦しむ多くのキューバ国民を救うために革命に身を投じました。
革命勝利の日以降国民の生活は一変しました。それまでのごくわずかな特権階級だけが富を独占し続ける不正に満ちた社会システムを改革し教育・医療を無償化、見捨てられる人が一人もいない差別のない社会を実現しました。
時代とキューバに対する国際情勢の変化を前にも常に揺るぎない信念を持ち続け最後の日まで休むことなくキューバの国とその国民を守るために立ち続けました。
また自国のみならず世界に向けて人間の尊厳が守られる社会の実現を叫び続けました。
それがキューバ国民が誇りとする「ヌエストロ・コマンダンテ(私たちの司令官)、フィデル・カストロ」です。
59年前、革命勝利を喜び熱狂的に支持する国民で埋め尽くされた首都ハバナの革命広場は今日、あの日と同じように見渡す限り人々で埋め尽くされています。
でも今日は誰もがうつむき押し黙り広場全体が悲しみに包まれています。
11月29日 一般弔問と各国代表者が参加する政府公式告別行事
一人、また一人と集まった人達で革命広場は埋め尽くされていきました。
国立図書館の壁には若き革命家フィデルの姿が…
革命広場のシンボル、ホセ・マルティ記念塔とホセ・マルティの像、ここでキューバ史上に残るフィデルの名演説がいくつも生まれました。
革命後に生まれた若い世代もフィデルを慕う気持ちは同じです。
自宅からキューバ国旗の小旗を持参してきた人も多く見られました。
アジア、アフリカ、中南米諸国の長の弔辞が続き人々はあらためてフィデルへの思いをあらたにします。 他国の干渉搾取を徹底的に拒否し貧しくとも独立の精神を貫いたキューバは中南米諸国の希望の星です。
告別行事が「Viva, Fidel!」の大合唱で幕を閉じてもまだ広場を離れがたい人々で埋め尽くされていました。
家路につく人々の中にはいまだフィデルコールが聞こえていました。
11月30日朝 フィデルは革命のすべての出発点であるサンティアゴ・デ・クーバへ向けて出発です。
革命達成後仲間たちとジープでハバナ入りし熱狂的な歓迎を受けた凱旋キャラバンのルートを今日は逆にたどり帰っていきます。
フィデルの遺灰を載せたジープが目の前を通り過ぎた時、沿道に詰めかけた人たちは口々にフィデルへの思いを叫びました。
「Viva! Fidel!」 「Viva! Nuestro comandante en jefe!」
そこにいた誰もが涙をこらえきれませんでした。
もうこれでフィデルの姿を見ることは二度とありません。
でも人間の尊厳を問い続けるフィデルの高潔な精神はこれからも変わることなくキューバの若い世代に受け継がれていくことを、泣きながらも国旗を振りフィデルに別れを告げる女の子たち、唇をかみしめまっすぐに遠ざかるフィデルのジープを見つめ続ける若者たちの横顔に感じました。
キューバの魅力は青い海、コロニアルな街並み、クラッシックカー…いろいろあります。
でもキューバ国民にこれほどに慕われ続けるフィデルの歴史と思い出をたどる旅もいいかもしれません。 彼の人となり、革命にかけた情熱、知れば知るほど魅力的で多くの感動を与えてくれることは間違いありません。
「Viva, Fidel! Hasta la victoria, siempre!!」
ハバナのチエがお送りしました。