
シンチャオ!!
アキーラです
最近、昼間はからっと晴れた天気が続いています!!
夕方くらいから雲が出てきて、雨が降るときもありますが。
雨期が終わり、乾期が始まったかなといった感じです
アキーラさんはベトナムに来て
早3か月が経ちますが、ベトナムの事を
いろいろ覚えてきました
ベトナムというと皆様はどういう
イメージが沸くのでしょうか??
多分、ベトナム戦争のイメージが40代以上の人には強いでしょう。
20代後半から30代の人々も
日本の病院で手術した べトちゃん・ドクちゃんのイメージで
ベトナム戦争後の枯葉剤のイメージが強いのではないのでしょうか。 ベトナム戦争
は1975年に終了し、戦後35年になろうと
しております。1990年頃まではまだまだ戦争の傷が残っている国で
ございました。
1990年代前半まで
道路は自転車ばかりだったのですが、1990年以降の高い経済成長率により(年間7~9%成長)
1990年代後半に入り、小型バイク(主に日本製)を持つ人々が増えてまいりました。
そして、2000年に入り、特にこ5年ほどで、車を持つ人々も急激に増えはじめました。
高層ビルもホーチミンでは最近、多く建設中でございます。
昔は、中国の植民地だった時代があり(約1000年間 主に北部ベトナム)、中国の文化がいろんな所で
浸透しております。ベトナム中部ホイアンのあたりは安土桃山時代から江戸時代初期(3大将軍、家光が鎖国を敷くまで)までに1000人ほどの日本人が住んでいたと言われております。日本人街を形成していました。(フィリピンのマニラやタイのアユタヤと同じ)=実質、中部のチャンパ王国と江戸幕府1代将軍徳川家康は貿易をしていました。
フランスの植民地化は1882年に始まりました。1939年に第二次世界大戦中勃発の時期に日本軍が
仏領インドシナ(フランスが19世紀に植民地化をすすめた地域。今でいう ベトナム、ラオス、カンボジア)進駐後、ベトナムは日本の支配下に入りました。ベトナム主要部には日本人がおりました。(最近の若い日本人の方は知らない方が多い??)実際には日本政府と協定を結んだフランスのビシー政府(ナチスドイツパリ占領後、ナチス監視下にあった半主権国家)も駐留。
日本の敗戦とともに、ベトナム共産党のホーチミンが独立を宣言!!しかし再度、フランスがベトナムに侵略しました。フランス軍に対するベトナム人の抵抗が始まり、第二次世界大戦後もベトナムに残っていた旧日本兵約600名がベトナム人兵士(ベトミン)を軍事指導、指揮し、その後、生き残った日本兵はベトナム政府から栄誉賞を与えられております。
詳しくはここ をクリック!!
第一次インドシナ戦争は1946年から1954年まで続きました。そしてフランスは仏領インドシナから退きました。インドシナ戦争中、旧ソ連と中国(北部ベトナム)そしてアメリカ(南部ベトナム)が介入し、ベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)へと繋がって行きました。
1975年、北部ベトナムが勝利のもと
戦争は終結しました。
戦後35年、現在では戦争の傷跡は、あまり残っておりません。
この国の人々と話し感じるのは、戦争をしたアメリカであってもフランスの人々の悪口をいう人はあまりおらず、あまり過去の事を気にしていない事です。(戦争体験世代は別ですが)
(これは日本がアメリカと戦争をし敗戦し、戦後世代が敵であったアメリカの事を悪く言わないと同じです。)
ある国々は未だに 過去の事に執着し、日本を責め続けております。
しかし、ベトナムは違います。過去は過去。未来を見ております。アメリカの文化も多くの面で
受け入れており、柔軟性がある人々だと思います。(もちろん人によりけりですが)
人々は小柄で(日本人は小柄だと言われますが、世界でみたら標準ではないかと思われる。)、顔も小さく、白い人もいれば、カンボジア方面のクメール人の血が入っていたりして小麦色の人々が多い。
女の子は幼い感じがする女性が多く、ニコッと笑顔してくれる女性が多いです。そして親切にしてくれる人が多いと思いましたそういえば、最近行きつけのスーパーで買い物した。行きつけのレストラン等でよくベトナム人の女の子からウィンクされますが(笑)これはなんの合図なのか
ベトナムは日本が最大のODA(政府間援助)供与国(3割~4割)であります。(ここ1年、2年供与額低下??)資本提供とともに、技術供与もしております。
ホーチミンのタンソニャット国際空港は日本が資金援助と技術提供をして作られました。
他にも橋や学校、病院、多くのビルもです。
最近、日本政府はメコン5か国(タイ、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマー)
に3年間で5000億円のODAを供与すると表明いたしました。
日本は世界でODA供与額1980年代後半バブル開始時期からずっと1位でしたがここ数年で地位が低下(世界5位)しました。
東南アジア以外にも、
昔は韓国にODAでかなりの資金援助、技術供与し、(日本のトヨタや日産をはじめとした自動車メーカー、ソニーやパナソニックなどの電子機器メーカーなどが韓国に技術を教えてました。)ちょうどソウルオリンピック(1988年)終了し、1990年代に入ると、日本が丁度、バブルが崩壊したあたりに
日本は韓国が経済的に自立出来ると思い、援助を停止しましたが。
今では中国にもかなりのODAを供与しております。他に、アフリカや中南米等にも。
日本が援助協力しても感謝もしない国々があるのは事実です。
しかし、ここベトナムの人々は日本に対して感謝している人が多いです。
この前、病院に健康診断で行くと
女性の医師に、日本人は病院を作ってくれたり、インフラ、医療等を整備してくれ
大変感謝と尊敬をしていると言われました。
日本人ながら嬉しく思ったものでした。
他にも、この国は日本との貿易が盛んでございます。
ベトナムからは主に、電気機器、原油、衣類、魚介類を輸出
日本からは車やバイク、電化製品をはじめとする機械類、鉄鋼、プラスティック、織物等を
輸出しております。
驚く事に、日本のほうが輸入超過で貿易は赤字でございます。(2006年度データ)
日本の漫画もこの国にははいってきております。
ドラえもんと名探偵コナンは人気漫画です。
日本の製品ベトナムの車の6割~7割が日本車と言われております。(トヨタが圧倒的に多く、日産、ホンダ車も多いです。)バイクに関しては7割~8割近くが日本製バイクです。(ホンダ、ヤマハ。スズキ等)電化製品もソニーや三洋、三菱電機、パナソニック等が
多いです。(近年他のアジア諸国(ASIA NIES諸国、中国等)の安い製品が入ってきていますが。)
現地在住日本人も多いために
日本食屋さんも多いです。
この国の人々は日本や日本人に対して好意的な人も
多く、親日家が多いです。(実際、ベトナム人と交流するとそれを感じられます。)
そういった意味ではベトナムは住みやすい国であると思います。
現在ベトナムでは
5つが世界遺産に指定されております。北部のハロン湾
フォンニャ洞窟、フエ、ホイアン、ミーソンとあります。

南北に長いために日本と同じように気候に若干の違いが
あります。
気候帯では、中部、南部は主に熱帯に属し、北部は主に温帯に属しております。
南部の人々は、(前任地のフィジーでもそうであったが)熱帯に位置しており気候が温暖なためか人々はのんびりとしている感じがします。
中南部は熱帯に位置しておりますので、生えている植物も椰子の木が生えていたりして
本州の温帯の気候に慣れた
日本人の自分からすれば景色とかはすごく新鮮に映ります。
東南アジアの特有の雰囲気を楽しむことが出来ます。
ベトナムには年間350万人ほどの外国人が観光で
訪れます。(日本人以外に、アメリカ、オーストラリア、フランス、ドイツなどの白人、中国、タイ、シンガポールなど)
思うに、中部のダナン、ホイアンもしくはニャチャン等のリゾートはまだまだ開発余地があり、
これから観光客を呼びこめる場所であると思います。
日本人にとってベトナムのビーチリゾートとしての定着はありませんが、ベトナムの
ビーチリゾートはまだまだ潜在能力があると思われます。
1週間後に中部の

泊まりに行きますが、皆様にブログにて紹介させていただきたいと思っております。
ベトナムには毎日、日本から直行便が飛んでおり、距離も遠くないために
訪問しやすいと思います。日本人であるならば観光目的であれば滞在15日以内であれば
VISA無しで入れます。
タイのバンコクを拠点に東南アジア各国に行かれる方がいらっしゃいますが、ベトナムのホーチミン
拠点でもいろいろな所に行けると思われます。(エアーアジア等の格安航空券が手に入る。)
ベトナム料理に関しては
中国の影響を受けているためか、中華料理に
似ているところが多いです。

ベトナムで生産量が高い
農作物があります。
それはお米とコーヒーです。(それぞれ世界第2位)
技術革新向上により、生産量が
近年、増加いたしました。




今、住んでいるホーチミンは
大都市のためにお店も多く、お店散策だけでも
皆様に紹介できるところはたくさん
ございます。


これからも随時
皆様に、お伝えしていきますので
宜しくお願いします。


