カイロからこんにちは!!!
本日、10月5日は明日の10月6日の戦勝記念日の振り替え休日です。カイロ市内は渋滞もなく日頃の喧騒はどこえやらといった感じです。
そもそも、何の戦勝記念日かといいますと1973年10月6日に勃発した第四次中東戦争の戦勝記念日です。この戦争はシリア・エジプト軍とイスラエル軍の戦争です。1948年からユダヤ人国家イスラエルと周辺アラブ国家間で合計4度の戦争が起こり、当時の中東情勢は大きな混乱の最中にありました。この第四時中東戦争はその最後の戦争です。
軍事的に見れば終盤のアメリカからの支援等もありイスラエル軍が逆転勝利を収めましたが、1973年10月6日(ユダヤ暦のもっとも神聖とされる贖罪の日)のエジプト・シリア側による奇襲攻撃が功を奏し、序盤はイスラエルを圧倒していました。それまでの中東戦争では「イスラエル不敗神話」が語られるほどイスラエル軍と周辺アラブ国の軍事力に歴然の差があったのですが、エルサレムという歴史的又は宗教的な観点からとても重要な国が持つ神話を崩壊させ、当時のエジプトの政治的スローガンでもあった、「ナショナリズム」と「アラブ至上主義」を更に大きく高揚させました。その結果、この戦争は当時のエジプト人のアイデンティティに大きな影響をもたらし、祝日に設定されました。
ちなみに、この戦争後にサダト大統領はカイロ郊外に「10月6日市」の衛星都市の建設を決定ました。この市は今ではエジプト最大で、なんとスキー場まであるモールが建設されています。その他にもカイロ市内のナスル市にはこの戦争の記念博物館のPanorama 6th Octoberも建設されています。以上の事から、この戦争のエジプト国民の精神に与えた影響がどれほど大きかったかがわかります。
当時の大統領のサダトはその後のキャンプ・デービッド合意など中東情勢の安定化に尽力し、1978年にノーベル平和賞を受賞するなどしましたが、1981年の10月6日にこの戦争の勝利を祝うパレード中にイスラム復興主義の過激派に暗殺されてしまいます。「ナショナリズム」と「アラブ至上主義」は経済の発展や近代化などの好影響をもたらしましたが、その反対に皮肉な結果を生んでしまったのです。。。事実は小説よりも奇なりですね。