カイロからこんにちは!!!
エジプトの生の源のナイル川は古来より、そこに住む人の生活に寄り添って来ました。
農業、生活用水、沐浴、上流からの資材の運搬などどれをとってもナイル川なしでは全くなしえなかった事です。
上記の様々な目的に適するように、それぞれその用途に合せて周辺の設備整備がされてきたわけですが、今回は12世紀から13世紀にかけて建設された水道橋をご紹介いたします。 この水道橋水を運ぶ橋、言ってしまえば現在の地下にある水道の役目をしていました。
当時はポンプもなく、さらに地下ではなく地上に橋という形で水道が通っていました。しかも、この水道橋はナイル沿岸からシタデル(ムハンマドーアリーモスクのある場所)という丘になっている方に向かい建設され、ナイル川は東西に向かって谷上になっており、勾配のある道のりを水道橋は通っていたのです。
元々、12世紀のアイユーブ朝時代にこの水道橋は当時のスルタンであったサラーハ・アル・ディーンによって構想、建造されました。
この水道橋は当時のカイロを囲む城壁の上に作られており、揚水機(サーキャと呼ばれる水車の様な物)を使って城壁の上まで汲み上げられ、それがシタデルまで流れ、飲み水や生活用水に使われました。
時は過ぎ14世紀に入り、軍人奴隷によりマムルーク朝が創始されると、シタデルの人口は爆発的に増加しました。
それに伴い、水の需要は緊迫し当時のスルタンであったアル・ナーセル・ムハンマドは、この問題を解決するために、新たな4つの水車を搭載した水道塔の建設を決定しました。
この水道塔の完成後は緊迫していた水需要は解決し、その後の人口増加にも対応するほどの水量を供給する事ができました。
その後、何度か修繕が行われ、現在でも一部はカイロ市内に姿を残しています。
通常では素通りしてしまう場所ですが、この記事を読んで少しでもエジプト観光をお楽しみいただけることを願っています。