アメリカに来てから、あちこちの観光地に行って素晴らしい経験をさせてもらっているのですが、数ある観光地の中でも、あまりにも衝撃的で今でもずっと私の心の中に留まって忘れられない場所があります。
今日はそこを紹介したいと思います。
EASTERN SIERRAの素晴らしい山並みのふもとにあるMANZANAR(マンザナー/マンザナール)という所。
第2次世界大戦中、日系アメリカ人の強制収容所が、ここにあったのです。
今現在は、もう殆ど何も残っておらず、唯一の目立つ建物がこのやぐらです。
第2次世界大戦真っ只中の1941年12月7日。
日本の真珠湾攻撃をきっかけに、日米戦争が勃発しました。この開戦は、当時アメリカの西海岸に住んでいた日系アメリカ人の運命を大きく変える出来事となりました。日系アメリカ人は、敵性外国人とみなされ、強制収容の対象になったのです。
日系アメリカ人の強制収容が決まってから、人々は数日間の間に自分達の財産をただ同然で処分し、最低限の荷物だけを持って、決められた収容所に向かうことを余儀なくされました。この強制収容の対象になった西海岸在住の日系アメリカ人は、12万人にも及んだそうです。
強制収容所は全米各地に10箇所設けられましたが、どこも劣悪な環境の場所で、このManzanarという所も、夏は日中の気温が40℃、冬は氷点下にまで冷え込みまた、LA市がここの豊かな水源を買い取り、水を全て奪っていったため、砂埃の舞う荒れ果てた土地だけが残っていた場所でした。
人々は、そのような中で、少しでも住居環境を改善しようと、たくさん努力したそうです。ここでの生活は、戦争が終わるまで、約3年間続きました。
今はもう当時の面影は殆ど残っていませんが・・・
当時はここに、こんなにも大きな町があったのです。
当時体育館として使用されていた建物が、現在は資料館になっていて、当時の社会情勢やここでの暮らしを垣間見ることができます。
広大な収容所の跡地は、車に乗ってぐるっと一周できるようになっているのですが、
一番奥の方には、ひっそりと慰霊塔が建っていました。3年間の間に、150人の方がここで亡くなったそうです。
訪れる人も少ない場所なので、ここではただ風の音しか聞こえません。
この慰霊塔の前に立って、静かに当時の日系人の苦労に思いを馳せていると、自然に涙が溢れてきました。
今、私達はアメリカで平和に暮らせていらるけれど、このような歴史があったということは決して忘れてはいけないと思います。
ラスベガスから日帰りでここを訪れるツアーもございますので、皆様も日本からラスベガスに起こしになられた際には、是非行ってみて下さい。
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