歴史 生活 2020.11.11

¡Hola!

コスタリカ支店の上田です。

 

今回は過去の記事で人気があったものに加筆してお送りします!

 

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このカラフルなコスタリカの代表的な民芸品は『ラス・カレータス』(Las Carretas)といいます。スペイン語ではカート、という意味になりますが、その昔、牛車として使われていました。

 

植民地時代にスペイン人が持ち込んだ牛車を改良して、当時のコスタリカの未整備の悪路や気候に耐えられるようなものに改良されました。

 

主な用途としては、コーヒー豆を運搬するものとして導入されました。最初はこの特徴的なペイントはありませんでした。

 

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そして20世紀初頭から、この牛車にペイントを施すようになりました。地域ごとに特徴のあるペイントがされ、カレータを見るとどこの地域の人かを見分けることもできました。

 

他のラテンアメリカ諸国でもカレータは使われていたのですが、コスタリカだけカレータの荷台や車輪に幾何学模様のペイントをして、それが社会ステータスのシンボルとなっていたのです。

 

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ペイントはもちろん手塗でおこなわれ、週末は、誰のカレータが1番綺麗で立派かコンクールをするぐらいのこだわりようです。

私が思うに、このあたりからラテン人らしからぬコスタリカ人の几帳面さがきていると思います。

 

コーヒー豆を太平洋側のプンタレナスへ運搬するため大活躍をした牛車は、コスタリカ人の生活や文化のみならず経済にとっても、切り離せない大事なもの。

 

今でも田舎に行くと使われているカレータは、2008年に牛車を引く去勢された牛と牛車使いの3つセットでユネスコの世界無形文化遺産に登録されました。

 

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現在、サルチという伝統工芸品の町には、ギネスブックにも載った世界一大きなカレータがあるので、是非訪ねてみてください!

 

こちらのツアーではサルチの町も訪問します!

【サンホセ発】コスタリカで温泉満喫!アレナル火山とタバコンリゾート

 

 

上田

コスタリカ政府公認ガイド

https://ecoa-travel.co.cr

 

 

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¡Hola! ¿Que tal? Yuです!

 

今回も欧米人に人気のプエルトリコについてもっと日本の皆さんにも知っていただけるよう、プエルトリコの気になる情報をお届けしたいと思います。

 

前回は基本情報などまとめた記事もございます。ぜひこちらもご覧ください(^^♪

 

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前回はプエルトリコ出身の有名人を少しご紹介しましたので、プエルトリコ人についてはじめにお伝えしたいと思います。

 

プエルトリコはスペイン系をはじめとする白人からアフリカ系黒人、タイノ系インディヘナ、最近増えてきている中国人が共存しています。人種差別などの点においては早くから黒人と白人の結婚も認められていたため、混血の方も多いそうです。

 

タイノ系とは、ヨーロッパ人が到来する前の先住民で、もともとは南アメリカから海を渡り、カリブ諸島の島で暮らしていた人々で、「ポリンケン」という名前がつけられていました。1508年から本格的にスペイン人の到来により征服されていたと言われています。

 

ちなみにインディヘナはインディアンと同じ人種です。ここで少し話はズレますが、アメリカの先住民がインディアンと呼ばれていますよね⁉ インドと遠く離れているのになんでアメリカにもインディアン⁉なんて疑問に思ったことはありませんか?(^^)/

 

大幅にカットしてまとめると、大航海時代、探検家のコロンブスがインドへ金を手に入れようと向かったのですが、早道をしたら着いた先がアメリカ大陸でインドに到着!と勘違いしたため、アメリカの先住民はインディアンと呼ばれたそうです!最近ではネイティブアメリカンも同じ先住民を指した呼び方を好むそうです(^^♪

 

またこのインディアンですが、文字の使用がない大昔の時代にユーラシア大陸からアメリカ大陸へ渡ったアジア系人種(モンゴロイド)の末裔で、私たちの祖先だったんですね!有名な話で皆さんご存じでしたらすみません(^^;

 

話は戻って、プエルトリコですが、スペインの統治時代に始まり、様々な歴史や政治的流れがあり、1900年からアメリカ合衆国領となり、現在の米国自治連邦区(=コモンウェルス)として成り立っています。想像が付きにくいかもしれませんが、日本から行きやすい距離のグアムと同じと考えるとわかりやすいかもしれません。

 

さて、プエルトリコは四国の半分ほどの大きさの島ですが、火山島であり、島の3/4が山岳地帯だそうです。北部は雨が多いが、南部は乾燥していて小さくても魅力いっぱいです。

 

そんな魅力いっぱいのプエルトリコでできる貴重な体験アクティビティをお届けします(^^)/

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バイオルミネサンス・カヤックアドベンチャーツアー

 

一つ目は光るラグーン⁉夜だから見られる幻想的なカヤックツアーです。

光る微生物がラス・カベザスラグーンに生息しています。暗くなるころ、カヤックで触ると光るラグーンへ!幻想的な世界が楽しめます!

 

 

カタマランセイリング&スノーケルツアー

 

二つ目はカタマラン船でむかうパラダイスアイランドツアーです。

さらに秘境の島へ船に乗り、シュノーケルを楽しんだり、ゆったり過ごしたり日常を忘れられる特別な時を過ごせる内容となっています(^^♪

 

 

以上がプエルトリコだから体験できる貴重なアクティビティです。

日頃がんばっているご褒美に訪れてみるのはいかがですか(^^)/

 

 

Yu

 

 

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¡Hola! Ryokoです♪

 

前回に引き続き、コスタリカ番外編、ドミニカ共和国についてご紹介します。

 

 

成り立ち

 

コロンブスが第1回航海のときに足を踏み入れたドミニカ共和国は、当初スペインによって新大陸で最初の町が造られ繁栄しました。

 

その後ヨーロッパ列強や、隣国ハイチの支配を受けるなどさまざまな苦難を乗り越えて、1844年に独立を果たします。

 

首都サントドミンゴの植民都市ソナ・コロニアルには、5 世紀のゴシック様式のプリマダ デ アメリカ大聖堂をはじめとするスペイン植民地時代の建物があります。

 

現在も住民はスペイン語を話し、サント・ドミンゴには当時のスペインの面影を残す建築物が数多く保存されています。

 

同じ島でありながら、アフリカの文化を色濃く感じる隣国ハイチとは対照的。

 

ビーチリゾートであるとともに、カリブ海地域で最も歴史的遺産が多いことも魅力のひとつとなっています。

 

 

食事

 

ランチにボリュームがあり、白米やバナナ、豆料理、鶏肉料理をよく食べます。

 

お米は油と塩を入れて炊き、バナナはフルーツではなく芋のような食感で主食として食べます。

 

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ポピュラーな家庭料理として、香草とトマトソースで煮込んだサンコーチョと呼ばれるシチューのようなスープがあり、お米に混ぜるなどして食べます。全体的に味付けは辛い物より甘い物が好まれます。

 

 

そんなドミニカ共和国の歴史とローカルフードを楽しめるのはこちら!

 

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植民地の歴史をたどる!サント・ドミンゴ旧市街半日プライベートツアー

 

コロンブスが建造した「新世界」、そんなサント・ドミンゴの植民地時代の歴史を遡るスポットへご案内します。

 

 

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ババロエリアの文化体験ツアー ローカルファームとローカルフードをたっぷり堪能!

 

ババロに根付く文化に触れるツアーです。ドミニカ料理の昼食や、カカオ&フルーツの試食もあります♪

 

 

ドミニカ共和国に来たらビーチはもちろん欠かせませんが、

ぜひ現地の歴史やローカルの雰囲気に触れてみる体験もしてみてはいかがでしょうか?

 

 

Ryoko

 

 

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2024.12
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