¡Hola!
インターンの細江です。
今日のテーマは闘牛ということなのですが、闘牛といえばスペインと思い浮かべますよね。
実はかつてスペイン領であったコスタリカも闘牛が文化としてあります。
(pixtabay引用)
コスタリカの闘牛はサンホセのZAPOTEという場所にある闘牛場で毎年年末年始行われています。
コスタリカの闘牛は本場マドリードの闘牛と違ったポイントが2つあります。
1.大勢の若者が雄牛(トロ)に立ち向かうスタイル
・・・カウボーイが赤いマントを持ち華麗にかわすスタイルではないんですね。
数年前テレビ番組でお笑い芸人がアクロバティックな技を闘牛で魅せるのがありましたが、それに近い形です。
毎年怪我人続出で、全員の保険加入が義務付けられているそうです。
2.雄牛(トロ)を殺さない
・・・本場マドリードの闘牛は最後に槍で刺し殺すという文化があります。
その残虐性から動物愛護に反すると長年議論になっておりますが、コスタリカは雄牛(トロ)を殺しません。
(むしろ1のスタイルにより、逆にあの世に行ってしまう方が、、、)
スペインの闘牛に負けない位のスリルと迫力あふれるコスタリカの闘牛。
もしチャンスがあれば、覗いてみてはいかがでしょうか。
細江
~毎週水曜&土曜に更新中!~
自然以外にも文化的にも魅力いっぱいのコスタリカに是非きてみませんか?
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Ryokoです!
今回は、コスタリカ番外編、グアテマラについて取り上げます♪
コスタリカのサンホセから直行便が飛んでいて(2020年時点)1時間半で着けちゃうんです!
かつてマヤ文明が栄えていた中米諸国の中でも中心的存在だったのがグアテマラです。
現在はその遺跡を巡る観光や、みなさんがよく飲むコーヒーだけではなく、スペイン語留学でも注目されていますよね!
そのグアテマラについて、紹介していきます。
グアテマラ基本情報
【正式名称】グアテマラ共和国
【面積】108,889平方キロメートル(北海道と四国を合わせた広さよりやや大きい)
【人口】約1,691万人(2017年世銀)
【首都】グアテマラシティー(Guatemala City)
【民族】マヤ系先住民46%,メスティソ(欧州系と先住民の混血)・欧州系30%,その他(ガリフナ族,シンカ族等)24%(2011年 国立統計院(推計))
【言語】スペイン語(公用語),その他に22のマヤ系言語他あり。
【宗教】カトリック,プロテスタント等(信教の自由を憲法上保障)
【時差】日本よりマイナス15時間
グアテマラシティ
1775年に現在のアンティアグアから遷都されて以来、首都が置かれているグアテマラシティ。空路での玄関口となる、標高1500メ-トル程の高原地帯です。
飛行機から市街を見下ろすと、峡谷の間にある盆地に隙間なく建物や住居が敷き詰められているのがわかります。
谷間に広がる貧民街から、高層ビルが立ち並ぶ地区まで、あらゆる要素がここにあります。
政治と経済の中心地である首都の機能と発展ぶり、一方で貧困や犯罪などの社会問題も持ち合わせ、ラテンアメリカ特有の猥雑さを漂わせています。
観光のスタ-ト地点となる旧市街には、中央公園、カテドラル、国立文化宮殿などがあります。ア-チ形の時計台のある郵便局や警察署、数々の教会などコロニアル調の建物も多くあります。
多くの観光客が訪れる国立文化宮殿
国立考古学民族学博物館
グアテマラにおける古代マヤ文明の要素が凝縮された博物館。
古代マヤ遺跡をまわる前にぜひ訪れておきたいスポットです。
保存のよい巨大な石碑や土器なども多数あります。
そんな魅力的なグアテマラの首都、グアテマラシティですが
気になるのはその治安…
そんな方にもおススメなのが、
日本語ガイドと一緒に周る、こちらのツアーです!
グアテマラシティ市内 観光ツアー
ゆったりグアテマラシティの観光をしたい方におすすめです♪
Ryoko
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Ryokoです!
今回は、コスタリカ番外編、お隣の国のパナマについて取り上げます♪
コロニアル建築が残るパナマシティの歴史
世界の十字路と呼ばれるパナマの首都、パナマシティ。スペイン植民地時代から、アメリカとヨーロッパを結ぶ交通の要衝として重要な役割を果たしてきました。
中心地から東へ6キロほどのパナマ・ビエホに初めて町が築かれたのが1519年。
アメリカ大陸におけるスペイン植民地の基地として繁栄を極めたものの、ジャマイカ副総督となったイギリスの海賊ヘンリー・モーガンによって徹底的に破壊され、町の中心は旧市街へと移りました。
1914年にパナマ運河が完成すると、その重要性は地球的規模にまで広がります。
1999年には米国に管理されていた運河がパナマに返還され、米軍基地が民間の国内空港に転用されたり、高速道路が整備されるなど、パナマ・シティは大きく変貌しています。
現在では、スペイン植民地時代の繁栄を彷彿とさせる旧市街には、伝統衣装を着たクナ族の女性が
ちらほらといたり、高層建築が林立する新市街では、世界中から来たビジネスマンが働いています。
歴史と現代が交差する街
旧市街の歴史的地区カスコ・ビエホ - Casco Viejo - は、サン・フェリペ地区に位置し、
カスコ・アンティグオとも呼ばれています。
カテドラルをはじめとする壮麗な教会や国立劇場など、スペイン様式の歴史あるコロニアル建築が並び、パナマ歴史地区として2003年に世界遺産にも登録されています。
カスコ・ビエホから北東へ延びる大通り - Av. Central - は、商店が並ぶ賑やかな繁華街で、
人通りも多く活気があります。
パナマ・シティの新市街は、旧市街とは対照的に、とても近代化された街並みが印象的。
3000棟余りの高層ビルが建ち並び、世界各国の銀行の支店や高級ホテル、ショッピングモール、レストランが軒を連ね、ビジネスマンや高級車が忙しく通り過ぎます。
ここから6キロほど北東の太平洋岸に残るパナマ・ビエホ - Panama Viejo - の遺跡が
パナマ・シティの東端になります。
パナマ・ビエホ
スペインが1519年に太平洋岸で最初に築いた植民都市の廃墟はパナマ・ビエホと呼ばれています。
インカ帝国の黄金など、太平洋岸で収奪された富はここを経由して地峡を通り、大西洋岸のポルトベーロに運ばれてスペインに送られました。住居や教会の廃墟が残っています。
パナマシティの観光ポイントをご紹介♪
Ryoko
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