2018.06.01

出張でコロラド州デンバーへ行った際、年に1回アマチ収容所を訪れる式典と重なり、せっかくの機会なので参加してきました。
第二次世界大戦中に、アメリカに住んでいた日系アメリカ人はアメリカ各地に設置された収容所に集めら、終戦まで外へ出ることは出来ませんでした。 このアマチ収容所は、デンバーから車で3時間半ほど。 お隣のカンザス州境界まですぐ近く。 当時の建物などは跡形がありませんが、記念碑がありました。S2018051908_21942年8月27日~1945年10月15日まで、当時収容された7000人ほどの人がここで過ごしました。

デンバー仏教徒の方が「南無阿弥陀仏」を唱え、100人以上の参列者がお焼香をあげました。
S2018051905その後、献花をして、式典は終了。
S2018051906この隣にはお墓もあり、当時収容中に病気等でなくなった107名の方がここに眠っているそうです。

当時の状況は全く残っておらず、広い野原ですが、地元の方が高校生と一緒に復刻プロジェクトを進めていて、当時の様子を再現中だそうです。
例えば、暮らしていた小屋。S2018051919小屋の窓は空きません。
というのも、この付近は蛇が出るようで、隙間があると部屋の中に蛇が入ってくるということから
完全な密室状態だったそう。そのため夏はとても蒸し暑く換気もできない状況で、さぞかし過ごしにくい環境であったかと思われます。

これは、今もまだ残っている、当時本当に使われていたベッド。S2018051917ストーブもありました。S2018051915こちらは監視台。S2018051921一部、当時のものがそのままだそうです。

参加者の中には幼少期をここで過ごしたという方や、別の収容所で過ごした日系人、またお母さんがここで時を過ごして、どんな場所だったのか来てみたかった、というカリフォルニア州から日系3世の方がいたり、皆さん色々な思いでここを訪れていたようです。
実際にアマチで思春期を過ごしたおじいちゃんは、スピーチで「中学生の僕は、たくさんの女の子と知り合うことができてよかった」という笑いを誘うコメントで始まりましたが、「家族が受けた差別、戦争が終わっても住む所もなければ仕事もない、まだ続く差別、辛かった」という言葉を聞き、
今こうして自分が日本人として、差別を受けることもなく、アメリカで暮らせていることが本当に平和であると感じました。

ラスベガスからですと、車で4時間ほどのところにマンザナール収容所があります。
マンザナール収容所へ行くツアーもありますので、興味のある方はどうぞ。

BY AK

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