世界のみんなが友達になれば、きっと戦争はなくなるのに。

 

 さて、今回はマーシャル諸島の歴史に触れたいと思います。

第一次世界大戦から第二次世界大戦が終わるまで、
日本の信託統治領として、
多くの日本人が島々に移り住み、
教育・医療やインフラが整備され、日本語が公用語とされていました。

今でも日本語由来の現地語や日本文化も多く残っており、とっても親日です。

 

現地で良く聞く言葉、「エンマン

オッケー!いいね!大丈夫。了解。といった場面で使われるマーシャル語、
これさえ覚えておけばコミュニケーションはエンマンです!

 

そして、当時の建物や戦跡もそのまま残っています。

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今回のツアーでご案内するミリ島は白浜のビーチが美しい島☆そして戦跡の残る島。
宝探しのように
探検気分で草木をかき分け進んだ先で、
”生きた戦跡”を目の前にした時の感動は一入でした!!

 

と同時に 様々な思いが巡ります。


第二次世界大戦中、重要な軍事拠点となった西太平洋、
このミリ島にも多くの日本兵が配置されていました。
そして、戦局の変化とともに、アメリカに占領され残されたマーシャルの人々、
日本兵は補給を絶たれ苦しい時間を過ごしたと言われています。

↓海中に眠る日本の補給船「南海丸」

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戦争が終わり、アメリカの信託統治に変わってから、
さらにこの美しい島国を悲劇が襲います。

 

「ビキニ環礁」

こちらの ほうがご存知の 方が多いかもしれませんね。
「世界平和のために、協力してほしい」と始まった
アメリカによる全23回の原水爆実験。

日本の漁船も被害を受けたこの水爆実験が与えた影響は
今なお、世界が注目する大きな課題となっています。

一人でも多くの人にこの国の存在を知ってもらうことが、平和の一歩に繋がるかも。
かつて日本ファミリーだったマーシャル諸島に友達つくりに行ってみませんか?gemini

ちなみに、水着の「ビキニ」はこの水爆実験の衝撃から名付けられたと言われています。

しかし、マーシャルの海に入る際、ビキニはNGです。

島民には衝撃的過ぎることと、
サンゴの擦り傷と日差しからお肌を守るためにも
ラッシュガードの着用をオススメ致します♪

 

それでは、次回は最終回。

22日から開催される太平洋サミット、それに関連したイベントのご紹介です!

 

~戦後70周年~ 成田発 【9/13(日)出発限定】

親日マーシャル政府閣僚との交流! 
何もない美しい島で戦争の歴史を学び、本当の豊かさを考える 
マーシャル諸島国際交流8日間
http://eco.his-j.com/volunteer/tour/TF-RMI2015

 

★☆ TOUCH THE WORLD by H.I.S. ★☆
 
~もっと世界を感じよう~ 
http://eco.his-j.com/volunteer/

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