アンネ・フランクと聞けば誰しもが日記が有名なことを知っていますよね。
ユダヤ人であるアンネが、ナチスから逃れるために隠れ家で過ごした2年間で書かれた日記。
実は、アンネ本人も日記の内容を人に読んでもらうつもりで書いていたのをご存じですか?
最初は日常を何気なく書いていた日記。
しかしドイツに責められ、他国に亡命していたオランダ政府がラジオで戦時中のことを記した日記や書類を
書き留めておくよう呼びかけたの聴き、自分の日記も資料として残そうとしていたんです。
資料にするために、添削し清書もしていました。
そして日記を書く上でやっていたのは、その日記に話しかけるような文章を書くこと。
日記につけた名前は『キティ』。日々、キティに話しかけていたのです。
13歳から15歳を『後ろの家(隠れ家)』で、家族や知人と過ごした少女。
学校に行っていたときの様子や、ときには友人への悪口、小悪魔な一面も日記に記してあり、
キティにありのままを話しかけていたのがわかります。
戦後の資料として人に読んでもらうためにも書いていた日記は、彼女の予想を遥かに超えて、
今では世界中の人に読まれ、当時を生きたアンネの気持ちや状況を私たちに伝えてくれました。
アンネの当時の様子は日記だけではなく、収容所に連れて行かれる前まで住んでいたアムステルダムの街でも感じることができます。
隠れ家として過ごした建物は現在でも残っていて、「アンネ・フランクの家」として博物館になっています。
家の中の隠し扉、音や声を広めながらも誕生日をお祝いしたダイニング、そしてアンネが日記を書いていた机。
同室だった知人はよく手紙を書いており、部屋に1つしか机がないため、
日記を書きたいアンネと机は取り合いだったなんてエピソードもあるそうです。