遺跡
2015.09.27
境界碑から 次に向かったのは
テル・エル・アマルナの東側の岸壁にある
岩窟墳墓群です。
上の方に 歩いて行きます。
最近 すぐに疲れるので、こんな時 本当に
運動不足だと実感してしまいます。
周りには 何もないような場所なのですが、
ここには 南北 10キロ 東西 5キロの
![Photo_8 Photo_8](https://blog.his-j.com/photos/uncategorized/2015/09/27/photo_8.jpg)
アケト・アテンの都があったのです。
この都の過去の繁栄を想像出来るレリーフが
ここには 残っています。
当時の戦闘の様子も描かれていて
とても美しく 興味深いレリーフです。
当時の色彩の残っています。
墓の内部での写真は禁止されているため
中を 写真でご紹介出来ないのが残念です。
そして 村の中を通って
次に向ったのは
小神殿です。
この神殿は、アクエンアテンの葬祭殿だったとも
言われています。
今は 修復された柱が立っています。
アクエンアテン王の後、
次のファラオとなったのは
ツタンカーメン王です。
ツタンカーメン王は 幼い頃
この都で 過ごしたのでしょうか?
アクエンアテン王が亡くなった後
ツタンカーメン王は、都を メンフィス そして
テーベ、今のルクソールに戻し また神も
アメン神信仰へ戻したそうです。
どうして アメン神信仰へ戻したのか?
これは、歴史のミステリーとなっているそうです。
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