サワディーにゃお!

ピサヌローク支店のメオダムです。

早いものでもう10月になりましたね。

実は以前にタイ文化省芸術局が9月中にシーテープ歴史公園をユネスコ世界遺産に推薦するとのニュースを目にしていましたが、その後その推薦がどうなったのか後追い記事が見つけられないままに9月も終わり、10月になってしまいました。

このシーテープ歴史公園が世界遺産に登録されたらば、メオダムのピサヌローク支店エリアでスコータイ歴史公園に続く二つ目の世界文化遺産となると期待していたんですが、よく考えたらもう二年以上も前から、世界遺産に推薦するとかの報道がときどき出ているようなので、先の長い話なのかもしれません。

Img_1750

シーテープ歴史公園の場所は、ピサヌローク県の東隣りベッチャブーン県の南部にあります。

タイ族により最初の王朝、スコータイ王朝成立以前、6~11世紀ころ栄えていたドヴァーラヴァティー王国の重要な都市の遺跡であると考えられています。

ドヴァーラヴァティー王国と言うのは、インドシナ半島の先住民族モン族の国で、宗教は仏教を中心としていましたが、その後に勢力を拡大してきたクメール帝国(都はアンコールワット)の影響を受けて、宗教や建造物もヒンズー色が強くなっています。

当時の街の大きさは、二重に囲んだ城壁の遺構から推測でき、4.7平方キロに及んだと考えられます。だいたい東京ドーム10個分のサイズです。

この内部には48もの仏教またはヒンズー教の寺院があったとされ、それらを修復された遺跡として見学することができます。

歴史公園の中心となる遺跡はプランソーンピーノーンというヒンズー教の寺院遺跡です。

メオダムが訪れたことのあるヒンズー教の遺跡はだいたいが東向きか南向きなのですが、このプランソーンピーノーンは珍しく西向きになっています。

そういえばピサヌロークのワットヤイ(ワットプラシーラタナマハタート:タイで最も美しいとされる仏像を安置)も西を向いています。

メオダムが想像するにワットヤイはスコータイ時代にリタイ王によって建立され、都であるスコータイの方角(西)を正面にしたのではないかと考えています。

同じ推理をすると、このプランソーンピーノーンの西側になにか重要な場所があったことになるかもしれないのですが、当時ラヴォーという都市がモン族の人たちの都で、その場所がどこであったか、いまだに謎とされてますが、たぶん現在のロッブリー周辺ではないかと言われています。

現在のロッブリーは、アユタヤの北50kmほど、シーテープ歴史公園から見ると南西に位置しています。

Img_1746

プラーンソーンピーノーンと言うのはタイ語で、プラーンはクメール風の塔のこと、ソーンピーノーンは「二人兄弟」という意味です。

主塔の右側に小さい塔が崩れかけて残っていますから、主塔が兄で、右が弟なのかもしれませんね。

土台部分はラテライト石を使ってあり、建物の表面はレンガで組まれています。

そして、塔の入り口部分の枠には砂岩が使われています。

たぶんトウモロコシのような形状のクメール式の塔であったようですが、トウモロコシ部分は既に崩れてしまっています。

ヒンズ教の仏塔では、単独の一基だけがそびえるものと、3基が横並びになったもの、四隅の塔が中央塔を取り囲むタイプなどをよく見かけますが、このように2基しかないものは珍しいのではないでしょうか?

もともとは左側にも小さな仏塔があったのかもしれません。

右側の小さいほうの入り口にはクメール建築独特のまぐさ石が残っています。

Img_1744

レリーフ部分があんまりに鮮明なので、たぶんかなりの補修が施されていると考えられるのですが、まぐさ石を見るとクメールの遺跡であることの実感がわいてきます。

レリーフの中心部を拡大して見てみましょう。

Img_1744_2

一番下の部分には多頭のヘビ、ナーガに両脇を囲まれたカーラの顔が見えます。

その両手は二匹のナーガをしっかりと握っています。

カーラはとんでもない食いしん坊だそうですから、このナーガも食べようとしているのかもしれませんね。

そらにその上に彫られているのは牛の背に乗ったシヴァ神です。

シヴァ神はヒンズーの神様の中では破壊の神とされ、人々から畏怖されていますが、クメール時代ではもっとも信奉されていた神様でもあります。

そのシヴァ神が抱えるようにしているのが、愛妻のウマ(パールヴァディー)でしょう。

ウマはとても美しい女神とされていますが、一方ではとても凶暴な神様だとも言われています。

Img_1769

この大きなまぐさ石は、地面に置かれたままで、本来の塔入口に取り付けられていません。

中央部分の摩滅損傷が激しくて、どんな神様のどんな格好を彫ったものなのかよくわかりません。

よく見ると、腰をくねらせた獅子のような像や手を上にあげた人らしき姿が見えるようです。

Img_1767

これは仏教の法輪で、修復はされてますがほぼ完全な姿を見せてくれています。

この遺跡はクメールのヒンズー教以外にも仏教の遺物も出土するのですね。

このように身近で見たり触ったりできるのはありがたいのですが、風雨さらされたりして、破損してしまわないか気になるところでもあります。

Img_1770

この割れているのは砂岩でできた蓮の花の台座と思われます。

スコータイ遺跡の仏像も蓮の花の上に乗られているので、メオダムはこれも仏教関係の遺物なのかと思ったのですが、ヒンズー教でも蓮の花は神聖なものとして、ヒンズーの神様たちの土台にされたりもしているそうです。

右手で三日月状に立っている石は、クメール式の塔、トウモロコシでいうと実にあたるウロコみたいな部分ではないかと思います。

これらの展示物も説明表示がないのでよく分からなかったりするのですが、想像を働かせながら見て回るのもなかなか面白いです。

Img_1753

巨大なレンガ造りの構造物が見えます。

崩れ方がひどくて、ただのピラミッドのようなものだったのか、塔を構成していたのかよくわかりません。

シーサッチャナライにあるワットプラシーラタナマハタート・チャリアン(プラプラーン)にある崩壊したレンガによるモン族の仏塔になんとなく似ていますので、これは仏教の仏塔だったのかもしれません。

その一部に屋根がかかっており、この屋根の下にはスコータイ遺跡でよく目にする漆喰によるレリーフが見られました。

Img_1762

台座を背負うような形になっているレリーフは阿修羅でしょうか?

鬼のように力の強い阿修羅は悪さもしますが、仏様の守り神にもなっています。レリーフの阿修羅はそれぞれ顔の表情が異なっています。

同じような構図は、スコータイ遺跡のワットマハタート南側仏塔の基台部分でも見られます。

Img_1782

シーテープ歴史公園周辺にも古い時代の遺跡は点在しており、この木立の中のこの塔はプラーンルシーと言い、仙人の塔と言う意味で、シーテープ歴史公園の外、北側に数キロ離れたところにあります。

この塔はレンガでできているようですが、少し傾いているように感じませんか?

裏側へ回ってみると、少しどころか相当に傾いていて、つっかえ棒をしてかろうじて立っていることがわかります。

Img_1784

遺跡として修復もされているのですが、スコータイ歴史公園などと比べると、予算があまり振り向けられていないのか、修復もまだまだといった感じもします。

しかし、あんまり修復しすぎてしまうのも遺跡としての面白さ、無常さが薄れてしまう気もします。

タイ文化省芸術局がユネスコに世界遺産として推薦し、登録されるようなことになると、たぶんもっと修復作業が行われることでしょう。

そうなる前に、シーテープの遺跡がどんな状態だったかを見ておくのも良いかもしれません。

Img_1739

最後に、これはプラーン・シーテープというクメール様式の塔です。

この歴史公園の名前を持った塔ですが、入り口部分は材木で補強され、塔上部の崩れかけたレンガ積み部分には雑草が生い茂っています。

決して保存状態としては良いものではありませんが、こうした姿が遺跡としての本来の姿に近いのではないかと思います。

ちょっと交通の便が悪くて、行きにくいところですが、H.I.S.ピサヌローク支店にご相談いただければ、ご案内いたします。

サワディーにゃお!

H.I.S.ピサヌローク支店のメオダムです。

このところタイではプーケット・サンドボックスとかホアヒン・リチャージ、チャーミング・チェンマイなどタイでのコロナ検疫隔離なしのパイロットプログラムでさまざまな情報や噂が飛び交っています。

ここにあげた名前は、それぞれの地域(県)ごとのパイロットプログラムの名称で、名前からして混乱しているような気がします。

Img_1049

ピサヌロークは幸いと言うか、この手の混乱には巻き込まれず、外国人観光客受け入れなどの話は全く出てきません。

しかし、そんなピサヌロークは地道にコロナ禍からの立ち直りを目指してゆっくりですが動いています。

新規感染者も落ち着いてきています。

そんな中で、ずっとタイ入りが禁止されていましたワットヤイの礼拝堂へ入れるようになりました。

ワットヤイというのは、当地での通称で正式名称は、ワットプラシーラタナマハタートといい、スコータイ時代に創建された由緒あるお寺です。

そして、ここの礼拝堂(タイ語でウィハーンと呼ばれます)には、タイで最も美しいと言われる仏像、チンナラート仏が安置されています。

Img_1276

こちらもスコータイ時代、14世紀にリタイ王の命により作られた仏像で、パワースポットとしても知られており、タイ全土から参拝者が押し寄せてきていたのですが、タイを襲ったコロナ第3波(2021年4月~)で、三密による感染防止策の一環として、仏像を安置する礼拝堂への立ち入りが禁止されていました。

Img_0467

参拝者は礼拝堂の開かれた門扉の手前から願い事を唱えなくてはなりませんでした。

しかも、礼拝時間は一人5分までとの制限まで付いていました。

それでも、参拝者が並ぶのは、よほど霊験あらたかな証左なんでしょう。

そうした入場規制も、先日ようやく解除されて、午前6時半から午後5時まで誰でも礼拝堂に入って拝むことができるようになりました。

Img_1274

礼拝堂の入り口には、検温機と消毒用のアルコールが設置されています。

ちなみに、やはり礼拝堂内での混雑を避けるために、一度に礼拝堂は入れる人数は制限されており、制限人数を超えた場合、外に設置されたプラスチック製の椅子に座って待たなくてはなりません。

Img_1272

メオダムが訪れたときは閉館間際だったこともあり、待たされることもなく礼拝堂の中へ入ることができました。

そして、礼拝堂の床には、マス目が描かれていて、参拝者は一人ずつこのマス目に入って礼拝することになります。

Img_1284

さて、前置きが長くなってしまいましたが、このワットヤイの礼拝堂では、みなさん仏像に目を奪われてしまいがちですが、礼拝堂内の壁にも注目していただきたいと思います。

ワットヤイの礼拝堂入口右側には、お釈迦様の生涯を描いた壁画があります。

お釈迦様、本名をシッダルタと言うのですが、釈迦族の王子として2600年ほど前にインドでお生まれになられました。

お釈迦様は大変聡明で、何不自由のない暮らしをされていましたが、宮殿の中だけで暮らしてきたので、世の中に苦しみがあることを知りませんでした。

あるとき、宮殿の東の門から外へ出る機会があり、初めてヨボヨボで貧しい身なりの老人を目にしました。

お釈迦様は世の中には「老いる苦しみ」と言うものがあることを知ります。

さらに、南の門から出た時には、重い病の人を見て「病の苦しみ」、西の門では死んだ人を見て「人の死」を知ります。

最後に北の門から出た時に、お坊さんに出会います。

お坊様は、一切の私欲を捨てて、真理を探究されていらっしゃります、

これこそが苦しみから解放されるものとお釈迦様は考えます。

1

お釈迦様も、出家をして真理を追究することを希望しますが、父王はそれを認めません。

父王はお釈迦様をもっと楽しく宮殿内で過ごさせれば、考えも変わるだろうと、宮殿内で盛大に宴会を開き、着飾った美女たちを躍らせて、お釈迦様を喜ばせようとしました。

宴会も終わった夜中に、お釈迦様はひとり目を覚まされて、中庭を見てみると、酔いつぶれた踊り子たちがみだらな姿で眠りこけていました。

「なんと見苦しい、世の中には貧乏で苦しんでいる人々が大勢いるというのに、、」

Img_1279

お釈迦様はひそかに宮殿から脱出することにします。

宮殿から出るお釈迦様を精霊たちが護衛します。

お釈迦様の乗った馬が、蹄の音をたてないようにと、精霊たちは馬を持ち上げて、音もなくお釈迦様は宮殿からの脱出に成功します。

Img_1281

この壁画を見ると、精霊たち馬の蹄を手のひらに乗せている様子がわかります。

こうして宮殿を脱出したお釈迦様は、川のほとりで修行生活に入ります。

2

①お釈迦様は、髪を切り落とされると、その髪は天に舞い上がって、インドラ神が拾われて「これは高貴なものである」と崇めたのだそうです。

こうして厳しい修行に入ったお釈迦様は、断食をして、生死の境を彷徨いますが、しかし真理を得ることはできず、修行に失敗します。

身体はやせ細り、新たな修行に入る体力もありません。

②そこへ川のほとりの村に住む娘、名前をスジャータと言うのですが、その娘から滋養豊富な乳がゆをもらい、体力を回復させました。

スジャータは「褐色の恋人」として売られてますが、語源はここから来ているんですね。

③さらに草刈りをする村人から、わら束をもらい、そのわら束を菩提樹の木の下に敷いて、再び瞑想修行に入ります。

こんどは、修行も順調に進んでいったのですが、この修行中に悪魔がお釈迦様の修行の邪魔を企てます。

④迷走修行中のお釈迦様に邪念を惹起させようと、お釈迦様の周りで半裸の美女たちを踊らせて、誘惑しようとします。

しかし、この悪魔の計画は失敗し、お釈迦様は動じることもなく瞑想を続けます。

色仕掛けなどではダメだと悟った悪魔は、武力でお釈迦様をねじ伏せようとします。

⑤悪魔の軍隊を派遣して、お釈迦様に戦いを挑みます。

お釈迦様は、座禅を組んでいる姿から、右手を下に伸ばして「悪魔よ去れ」と一声あげます。

すると、髪の長い大地の女神が現れてお釈迦様を悪魔の軍団から救います。

ここでは大地の女神がどのようにお釈迦様を救ったのか、描かれていませんが、ワットヤイから国道を挟んだ向かい側にあるワットラーチャブラナの礼拝堂にある壁画には、続きが描かれています。

大地の神様の長い髪を絞ると、途方もない水が噴き出して、あたり一帯が大洪水となって、悪魔の軍団を呑み込んでしまったというものです。

たぶん、ほとんどのタイのお寺の壁画には、このようなお釈迦様の物語や古代インドの叙事詩からタイ版として再編集したラーマキエン物語などを見ることができます。

たぶん、観光できらびやかなタイのお寺を見学しても壁画など見過ごしてしまうこともあるかと思いますが、よく見ると壁画にはストーリーがあって、ちょっと調べながら見て回ると、なかなか面白いですよ。

Img_1288

ピサヌロークではタイ国内からの観光客は隔離なしでの受け入れを開始しました。

条件として、「ワクチン接種を2回終えていること」となっていますが、ピサヌローク到着時に係員の要請があればATK(抗体簡易検査)を受けていただき、陰性であればワクチンの接種の有無に関係なく旅行できます。

9月23日からはバンコクからの特急列車も運転が再開されて、これまでより2時間も早い、バンコクから5時間以内で到着できるようになりました。

サワディーにゃお!

ピサヌローク支店のメオダムです。

昨日8月12日、タイでは「母の日」でした。

先代の国王ラーマ9世妃の誕生日ということで母の日となっています。

二年前までなら、レストランとかでお母さんを囲んで家族が幸せそうにパーティーをしている姿があちこちで見られましたが、昨年からのコロナで外食は禁止され、家の中でも会食は自粛が求められてます。

「さびしい」ですね。

で、今日は二年前、2019年の8月12日を回想してみることにしました。

この日、メオダムは日本からピサヌロークへパッケージツアー「Ciao」でいらしたお客様に同行してました。

お客様は30歳前後の若い男性二人です。

前日にピサヌロークへ入られて一泊されています。

8月12日のツアー行程はハードスケジュールです。

朝06:30にピサヌローク市内のトップランドホテルを出発して、スコータイ遺跡見物とカオコー観光をこなして、夜中の寝台列車でバンコクへ向かうというものです。

こんなハードな弾丸ツアーですが、ブログを読んで旅していただく分には、体力に自信がなくても大丈夫です。

Img_5054

ピサヌロークからスコータイへ向かって国道12号線を西に向かいます。

この国道12号線はインドシナ東西経済回廊とも呼ばれている国際ハイウェイです。

起点はベトナムのダナン港で、安南山脈を越えてラオスに入り、メコン川を渡ってからはタイの大地を横断していきます。イサーン、コンケン、ピサヌローク、スコータイ、タークと走り抜けるとミャンマーとの国境で、港町モールミャイン、古都バゴーを経てヤンゴンに至ることができます。

2019年時点なら、コロナもありませんでしたので、パスポートさえあれば、国境を自由に越えることができたのですが、今はご存じのとおり、どこの国もコロナで鎖国状態。

さらにミャンマーに至っては、軍のクーデターまであって、以前のような平和がずっと遠くへ行ってしまいました。

ピサヌロークを出て、30分ほどでスコータイ県への県境を越えます。

このあたりは稲作を中心とした田園風景が広がっているのですが、道沿いには水牛を飼っている農家も見られます。

むかしのタイなら、どこへ行っても水牛の姿が見られたそうです。

水牛は農家の人たちとともにあって、田畑を耕し、収穫物を運んでいました。

しかし、現在は日本製の耕運機などが普及して、水牛たちの活躍する場所が減ってきてしまいました。

このハイウェイ沿いでも水牛の姿を来られるのは、スコータイ県境の農家くらいになっています。

5ds_0887

午前8時にはスコータイ歴史公園に到着。

スコータイは13世紀から15世紀にかけて栄えたタイ族最初の王国です。

時代は日本の鎌倉時代と重なります。

スコータイはスリランカから上座部仏教を取り入れ、仏教を中心とした国づくりを行い、芸術文化面でも現在のタイ文化の基礎を築きあげています。

スコータイ周辺には当時の石造寺院建築を中心にたくさんの遺跡が残り、その王都であった中心部は近年歴史公園として整備されて、ユネスコの世界遺産にも指定されています。

広い歴史公園内には自動車の乗り入れが禁止されており、電動カートやレンタサイクルで回ることができます。

まだ朝早い時刻ですので、レンタサイクルで遺跡巡りをしましょう。

歴史公園入口周辺には何軒ものレンタサイクルショップが並んでいます。

タイ国産の新車以外に、日本の中古ママチャリなどもありますし、二人でこげるタイプの自転車もあります。

Img_6683

このレンタサイクルショップには、何匹かのネコがいます。

タイは飼い猫、野良猫ふくめてネコの多い土地ですが、スコータイ遺跡でもよくネコの姿を見かけます。

そういえばメオダムの記憶でも、タイ以外でも世界各国の遺跡のある場所にはネコが住み着いているケースが多かったような気がします。

でも、日本はどうだったのかなぁ?

Mk3_0003

歴史公園の内部は、木々や芝生の緑に、レンガやラテライトと呼ばれる赤っぽい石でできた建造物、鮮やかな原色による色彩が多いタイの風物と比較すると、しっとりとした落ち着きを感じさせます。

スコータイ時代にはタイ文字が考案され、多くの碑文が後世に残されています。

その碑文によれば、当時の寺院は黄金色をしていたそうで、現在遺跡として見せてくれるイメージとは異なり、そうとう華やかだ多様です。

この歴史公園周辺だけで200か所以上の遺跡が残っているそうです。

しかも、スコータイ時代の200年間にこれらの建造物が作られたとすると、当時のスコータイは至るところで建築ラッシュになっていたことでしょう。

大きな石材を運んだのは、人の力だったのでしょうか、それともゾウを使ったのでしょうか?

Mk3_0009

中世ヨーロッパの尖塔を彷彿とさせる建造物は、仏舎利塔です。

このデザインはスコータイ時代に考案されたもので、現在はスコータイ周辺でしか見ることのできないデザインです。

点に伸びている塔は、蓮のつぼみをイメージしているとされています。

仏舎利塔に向かって、大きな石柱が並んでいます。

この石柱はラテライトという石を積み重ねた構造で、上へ行くほど柱は細くなっています。

かつてここは寺院の礼拝堂となっており、石柱が梁を支え、巨大な屋根をいただいていました。

しかし、数百年と言う年月と、自然環境によって、木造部分は朽ち果て、崩壊し、現在は石柱だけが並ぶ姿を見せています。

Mk3_0019

スコータイ時代当時、周辺には異民族による高度な文明国家がありました。

スコータイのすぐ北側には、モン族によるハリプンチャイ王国が栄えており、南にはドヴァーラヴァティー王国、さらにアンコールワットを中心としたクメール帝国などです。

スコータイの都も、タイ族が王国を築き上げる以前は、クメール帝国の地方都市のひとつでした。

ヒンズー教を中心としたクメールの人たちは、ヒンズー寺院を建立し、ヒンズーの神々を祭っていましたが、スコータイ王朝によるタイ族の統治下に入ってからは、ヒンズー寺院は仏教寺院に改修され、それまでのシヴァ神を中心としたヒンズーの神々はお釈迦様の守り神として位置づけられ、仏教寺院となっても、寺院にレリーフとして残っています。

Img_6686

スコータイはクメール帝国から当時の先進的な文化を学び、自分たちの文化の中に取り入れていきました。

クメール帝国は治水・水利事業に関して、とても高度な技術を持っており、そのクメール文化から学んだスコータイは、都の西側に並ぶ山にダムを建設し、中国の製陶技術を学んで、陶器によると土管を作り、都へ水道を引いています。

もともと周辺にほとんど河川のないスコータイでしたが、ダムやため池による灌漑で、周辺では稲作も盛んにおこなわれ、800年前に作られた碑文には「水に魚あり、田に米あり」と彫り込まれています。

歴史公園内の寺院遺跡周辺も多くの掘割があり、この季節にはピンク色の水連が朝早い時間に開花して、目を楽しませてくれます。


スコータイ歴史公園を2時間ほど見学してお昼にはピサヌロークへ戻ります。

ピサヌロークで召し上がっていただくメニューは、超特盛タイラーメンです。

Img_3890

洗面器よりも大きな丼に、具材がこれでもかってくらいに入っています。

麺はさらに別盛りとなっていて、通常の6人前くらいのボリュームだそうです。

タイの人たちも麺類は大好きで、米で作ったヌードルがクイッティアオと呼ばれています。

極細から名古屋のきしめんもびっくりするくらい幅広の太麺まであります。

またラーメンとよく似た小麦粉で作ったものがバミーと呼ばれています。

スープは米のクイッティアオも小麦粉のバミーも、どちらも共通のようで、その点で日本の「うどん・そば」と「ラーメン」のスープがまったく別物なのとは異なっています。

Img_6688

若い男性のお客様には、この超特盛タイラーメンをお二人で挑戦していただき、見事に完食していただきました。

メオダムは「賄い」として、イカのカレー炒めを食べさせてもらいました。

タイ語で「プラームック・パッポン・カリー」と言います。

バンコクを旅行される観光客に人気のソンブーンのカニカレーは「プー・パッポン・カリー」で、賄いのイカ・バージョンと違って、華やかさがありますが、ここのイカ・カレーだって、バナナの葉っぱの上に、ライスとともに盛り付けてあって、タイらしい野趣味があります。


さて、午後からは国道12号線を東に走り、ペッチャブーン県に入ったところのカオコーを見学です。

Img_6946

標高800メートルほどのカオコー高原は、雲海の名所として人気があり、タイの人たちは「タイのスイス」などと呼んだりしています。

そんなカオコーで一番人気は、ワットパーソンゲーオと呼ばれる寺院です。

午前中に800年前の寺院遺跡を見学しましたが、カオコーの寺院は、最新の寺院で、20年位前から建設がはじまり、最近ほぼ完成したばかりと言うお寺です。

もともとタイの寺院は金色、オレンジ色、緑色などと色鮮やかなのですが、ここの寺院の仏塔は、タイ王室に伝わる陶器ベンジャロンを外壁に埋め込むなどして、さらに色彩豊かです。

色だけではなく、埋め込まれたベンジャロンなどの陶器やタイルなどは、宇宙空間をイメージして配置されています。

巨大であり迫力もある建造物ではありますが、多彩な色がちりばめられている割に、色彩的に派手な印象は抑えられています。

この寺院はもともと信者さんが瞑想を通じて修行を行う場所としての性格を持っているためか、全体としてのイメージは、むしろ使われている色の多彩さとは反対に、静謐ささえ感じさせます。

Img_6690

巨大な五連仏は純白で、銀やクリスタルが随所に使われています。

五体の大仏は、悟りを開く仏陀をイメージしており、タイの仏教では悟りを開くことができる仏陀は五人いて、釈迦は四人目。

そして、将来また悟りを開く五人目の仏陀が表れて救世してくれると考えられています。

雨季のこの時期、空には雲も多いのですが、ところどころの雲の切れ目から青空ものぞいてます。

Img_6699

ワットパーソンゲーオからさらに山を登ったところにインスタスポットとして人気の高いピノラテ・カフェがあります。

ここのテラスからはカオコーの景色が一望できることと、花壇に一年中色鮮やかな花が咲いていることで、いつもたくさんの観光客を引き寄せています。

タイの人たちは写真が大好きです。

カフェのテラスでは、あちこちで写真を撮り合いする光景が見られます。

Img_6693

このカフェには二匹のネコが住み着いています。

一匹は茶色いネコで名前をラテといいます。

そしてもう一匹は、写真に写っている黒ネコのアメーです。

悠然と寝ているアメーですが、アメーと言うのはタイの人たちはコーヒーのアメリカンのことをアメリカーノーと呼んでいて、そのアメリカーノーを縮めてアメーと呼ばれているのだとか。

茶ネコのラテも、カフェラテからの命名です。

なお、このアメーですが、昨年交通事故にあい、大けがをして歩けなくなってしまったそうです。

現在はカフェの従業員の家で、介護を受けながら暮らしているそうです。

また、超巨大盛りタイラーメンも、現在はメニューからなくなってしまってます。
それでも、事前に予約をすれば特別に用意をしてくれるそうです。

早くコロナが収束して、日本からのお客様を受け入れて、また以前のようにこんな弾丸ツアーを再開したいものです。

この日、夕方にはピサヌロークの街へ戻り、お客様はその晩の夜汽車でバンコクへ向かわれました。

若い人向けの体力勝負のツアーですが、過去には70歳代のご夫妻にもご参加いただいております。

HIS バンコク支店

HIS チェンマイ支店

HIS チェンライ支店

HIS ピサヌローク支店

2021年1月以前の記事はこちら
HIS バンコク支店・HIS ピサヌローク支店の記事は、全てこちらの同ブログ内にございます。
2021.10
loading...