こんにちは、
私たちはケオとパオです。
ピサヌロ-クに住んでいます。
ピブンソンクラームラチャパット大学の学生です。
ピサヌロークの中心に記念碑があり、
この記念碑はきれいだし、広いし、それに立派です。
これはトンブリー王朝時代、ピサヌロークの歴史に関する記念碑で、
それはプラボロムラーチャーの記念碑です。
ボロムラーチャーは偉大な王様のことです。
それで今日はプラボロムラーチャーの記念碑を紹介します。
トンブリー王朝時代(1775)にチャクリー将軍はミャンマーの攻撃から
ピサヌロークを守ることを担当しました。
チャクリー将軍は、後にプッタヨートファーチュラーローク王、あるいはラーマ 1 世として知られています。
チャクリ将軍とタイ軍の彫刻はプラボロムラーチャーの記念碑の左側です。
対峙するミャンマーの将軍アセーウンギーと軍彫刻はプラボロムラーチャーの記念碑の右側です。
この戦いで、チャクリー将軍は4か月に及ぶ攻防戦を経てピサヌロークを奪還しました。
チャクリー将軍はミャンマーの将軍アセーウンギーと会見し、その際、アセーウンギー将軍はチャクリー将軍が将来国王になるであろうと予言しました。
そして、この戦いの4年後、アセーウンギー将軍の予言通り、1782年にチャクリー将軍はタクシン王に代わって王位に就き、現在のバンコク王朝(チャクリー王朝)を開きました。(メオダム註)
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