読者の皆さん、アロハ。今日はハワイに暮らしていると当たり前に着こなされているアロハシャツについてブログを書いてみましょう。

 
日本のみならずハワイの外の米国本土でも、アロハシャツを着て街中を歩けば、「白い眼」でみられることも多いのではないでしょうか。これは、サーフィンやフラガールやパイナップル、花柄や葉柄など、ハワイ独特のモチーフが、強烈に色彩豊かにあしらわれた意匠・デザインの、襟元の大きく開いた開襟シャツであることから、ハワイの風土という背景を失うと、やはりハワイの外の風景には溶け込めずに浮き上がってしまい、仕方のないことなのかもしれません。


が、見方を変えれば、アロハシャツはそれだけ強烈にその個性を放つ、ハワイを代表する文化財であることにも容易に気がつきます。そこで、アロハシャツの生い立ちについて調べてみたところ、なんと、アロハシャツの由来はどうやら日本の「着物」にありそうだとのことで、驚きました。


もともとムームーについてはキリスト教の宣教師たちが、ハワイの女性たちのからだを覆って欧米化させる目的で、19世紀前半から発達したことを(なぜか?)知っていましたが、アロハシャツについては知らずにいたところ、それから70年、80年ほど経過した、19世紀末から20世紀前半に発達したそうで、日本移民が「着物」の生地をいかして、サトウキビやパイナップル畑のプランテーションのユニフォームだった格子縞の「パラカシャツ」を模して作り出したという説が有力なのだそうです。


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930年代には「アロハシャツ」という名称そのものが商標登録され20年間独占利用されたこともあり、一般的に「ハワイアンシャツ」と呼ばなければならない時期もあったそうです。また、シャツのボタンが椰子(ココナツ)の木か実でないとアロハシャツではないという見解もあるそうです。


生地については当初は絹、そしてレーヨン、1960年代以降はポリエステル、木綿と変化しているそうで、なかでもわざと生地を裏返しにして淡い色合いに仕立てた木綿のアロハシャツがホワイトカラー層に好まれて人気が高いようです。


太平洋戦争(第二次世界大戦)の 不幸な歴史をはさみながら、世界のリゾートとして急速に発展したハワイを代表するリゾートウェア、おみやげとしてアロハシャツの人気が高まり、また、「ア ロハウィーク」、「アロハウェンズデー」そして今日も続く「アロハフライデー」といった、大戦後の官民一体となったキャンペーンによるアロハシャツの職場 での着用の奨励が功を奏して、ハワイではアロハシャツはビジネスのみならず冠婚葬祭でも着用を認められる「正装」のステータスを確立、たとえばハワイ州知 事やホノルル市長などもいつもアロハシャツを着こなしています。


観 光娯楽、農業、軍需を除けばアロハシャツに代表されるアパレル、ファッションはハワイの重要な産業のひとつ、これからもますますその個性と輝きを失わず、 世界へ向けて、アロハシャツ、またそのほかすべてのハワイのファッション、デザインの魅力をアピールし続けることがいかに大切なことか、あまり気にせずに 着ている普段着に焦点を当てることによって気づかされ、勉強になりました。


ぜひここハワイで、お気に入りのアロハシャツ探索、特にヴィンテージものなどに触れて見て、わくわくと、美しい暮らしと心の糧にされてみてはいかがでしょうか、ここハワイへのご来島をお待ちしています。アロハ。


TJH

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    2024.04
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