サワディーカップ、メオダムです。
前回に引き続きまたウドンタニのお話です。
ウドンタニはピサヌローク東へ360kmほど、この距離はちょうどバンコクとピサヌロークの距離と同じですが、ウドンタニへは途中にいくつかの峠道もある山岳道路を抜けていきます。
今回はウドンタニの西側にあるプープラバート歴史公園をご紹介いたします。
プーは山と言う意味のタイ語、プラは聖なる、バートは足跡です。
聖なる足跡の山と言った意味になります。
ここにはたくさんの浸食によって削られた奇岩が林立しています。
キノコのような形をした巨岩があったりします。
しかし、その奇観から公園に指定されているのではありません。
歴史的に価値があるとされてスコタイなどと同じように「歴史公園」となっています。
いまから1000年以上前にここでは様々な宗教行事が行われてたとされてますし、3000年年くらい前の壁画とされるものもあります。
↑ いまから3000年前に描かれた壁画だそうです。
ちょっと3000年前にしては、くっきりしずぎている感じもありますが、あんまり追求しない方が歴史ロマンがありますね。
下の写真も昔の壁画で岩に描かれた動物たちだそうです。
これら岩に描かれた壁画は柵に囲まれているわけではなく、手で触ることだってできそうです。
この歴史公園は山の中にありますが、園内はよく整備された散策路があります。
今の季節は乾期で、木々の葉が枯れて、落ち葉の季節ですから、なんとなく日本の晩秋のような景色です。でも、気温は真夏並みです。
10世紀前後に、ここでは宗教行事が行われていた場所となれています。
修行僧たちは、奇岩の住んで修行をしたのだそうです。
岩に彫られた摩崖仏、スコタイでは見かけない仏像です。
頭の上に炎のようなラッサミーと呼ばれる部分がないことや顔の表情から、スコタイ時代以前またはスコタイ仏の影響を受けていないことがわかります。
こちらの仏像は、スコタイ様式の特徴が表れていますから、後世に作られたものと思われます。
ただし、スコタイの座像のほとんどが降魔印と呼ばれる右手を下に下げたスタイルなのに対して、ここの座像は坐禅を組んでいます。
この場所が、僧たちの修行の場であったことから、このような座禅仏を主に安置していたのかもしれません。
この歴史公園のシンボルともなっているのが「ウサの塔」と呼ばれる奇岩です。
大きな岩が傘のようになっていますが、これも自然の力によって、浸食がすすんでできたものなのだそうです。
ここにはこのような形の奇岩が多く、この奇岩の傘の下で先史時代人は暮らしていたそうですし、僧たちは修行をしていたそうです。
いくら奇岩が屋根の代わりになって雨をしのげるといっても、こんな不安定な巨岩の下で寝るのは勇気がいりますね。
よく見ると、巨岩の下に窓のようなものが見えます。
巨岩と、それを支える岩の隙間に部屋が作られているようです。
きっとこの狭い部屋も当時の高級タワーマンションに匹敵していたのでしょう。
さて、この「ウサの塔」には伝説があります。
この場を借りて、メオダム風にちょっと脚色してお話しましょう。
むかしむかし、この辺りにはパヤコンパンという王様がいました。
その王様のお妃さまはとても美しい人でした。
王様は子供がとてもほしかったのですが、お妃さまには子供ができませんでした。
ある日、山の中の蓮の花の中から、小さな女の子が生まれました。
それをその山の仙人が見つけて連れ帰りました。
その女の子は、とても可愛らしかったそうです。
仙人はとても大切にその子を育てました。
何年か過ぎて、王様は山の中の仙人のところにとても可愛らしい女の子がいるという噂を聞いて、山の仙人のところへやってきました。
女の子を見た王様は、一目で「この子を自分の子供にしたい」と思い、仙人にその女の子を養子に欲しいと言いました。
しかし、仙人は予知能力があり、王様に忠告しました。
「もし、この子を養子としたならば、この子はやがて結婚をして、その結婚相手が、養父を殺すことになる」
しかし、王様は仙人の忠告に耳を貸さずに、女の子を養子として、連れ帰りました。
王様は女の子にウサという名前を付けました。
ウサとは夜明けの光と言う意味です。
また歳月が流れ、ウサは美しい娘に成長しました。
たくさんの男性が、ウサに求婚してきます。
王様は仙人の予言を思い出しました。
「ウサと結婚する誰かが自分を殺す」
王様は、ウサを仙人の住む山の中の岩の中に幽閉することにしました。
そこにはウサと同じ年の侍女と仙人しかいません。
王様はときどきウサを訪ねてくるのですが、ウサは山の中で寂しくて仕方がありません。
そんな思いを込めて花輪を作りました。
そして、その花輪を沐浴で訪れた小川に流しました。
花輪は小川を下り、大きな川に入り、やがて岸にいた隣の国の王子に拾われます。
王子は花輪に込められたウサの心がわかり、ウサを救い出しに行きます。
王子は川をさかのぼり、小川をそって山の中に入っていきました。
そして奇岩の中にいたウサを見つけました。
王子は美しいウサに一目ぼれをしてしまいます。
しかし、ちょうどそこへ王様たちがやってきます。
隣の国の王子がウサのところに来ているのを見た王様はとても怒りました。
丁度その時、王子をさがしに来た隣の国の兵隊たちもやってきて、二つの国は戦争になろうとしていました。
それを見た仙人は、王様と王子に提案をします。
「明日の夜明け、明けの明星が輝くまでに寺院を作ったものを勝ちとし、負けたものの首を切る」
この提案に王様と王子は合意し、それぞれ寺院を作り始めました。
王様は深い谷の下で寺院を作り始めます。
王様はたくさんの家来たちを使って、立派な寺院を作ろうとしています。
一方、王子は家来が少ないので、しかたなく奇岩を屋根や柱にして簡素な寺院を作り始めます。
やがて日没となり、夜となりますが、王子の寺院はなかなかうまくできません。
深夜となって、心配した王子は、王様の寺院がどのくらい完成しているか谷の上から見下ろしてみました。
すると、立派な寺院が出来上がりつつありました。
「これでは負けてしまう」と考えた王子は、作戦を考えます。
持ってきていたランプの灯を最大にして、王様たちが寺院を作っている谷の上、木の枝高くに明るく輝くランプを吊り下げました。
ランプの光は谷底を明るく照らしました。
谷底で作業をしていた王様の家来たちは、急に明るくなったので、上を見上げると、明るく光っているものがあります。
「もう、明けの明星が輝きだしてしまった」
「勝負は決まった、王様のお寺は完成しなかった」
「我々の負けだ、殺される前に逃げよう」
と王様の家来たちはお寺を作るのを止めて逃げてしまいました。
王子たちは、簡素ながら岩を使ったお寺を夜明けまでに完成させ、この勝負は王子の価値となりました。
そして、約束通り、お寺が完成できずに負けた王様の首を切り落としました。
王子はウサを自分の国に連れ帰りました。
しかし、王子はウサを愛したものの、宮廷内の女たちはウサにとても冷たく当たり、ウサは悲しい思いをしていました。
王子がどのような方法で、王様に勝ったのかは、秘密にされて、ウサも王子が策略で買ったことを知りませんでした。
ある日、宮廷にランプ売りの老婆がやってきて、山の中で王子のランプを見つけた話をしました。
そして、やがて王子は卑怯な方法で勝負に勝ったことがバレてしまいます。
王子は、贖罪のために一年間の放浪の旅に出ることにしました。
そしてウサもふたたび仙人のところへ帰っていきました。
しかし、ウサはその後、重い病気にかかってしまいます。
仙人はそのことを王子に知らせるべく、遣いをだしました。
王子はウサが死ぬ間際にやってきました。
ウサの死を悲しんだ王子は、自ら命を絶ち、ウサの塔のすぐ横の岩にウサとともに葬られました。
岩に彫られたこの四角い穴はウサの井戸と呼ばれています。
また、今から1000年くらい前に作られたものと考えられています。
この岩の下にはウサと二人の侍女が眠っていると案内板に書かれていました。
「二人の侍女」と言うのが誰のことかメオダムにはよくわかりませんが、歴史公園でもらったパンフレットには侍女のことは書かれておらず"Lady Usa's Stupa(ウサの仏塔)"とありました。
このウサの物語、さまざまなバージョンが存在しているようです。
プープラバート歴史公園はウドンタニ市内から車で1時間少々です。
変わった形の岩がたくさんあるので、ここもインスタスポットとしてお勧めできます。
H.I.S.バンコク支店では、バンコクからの往復航空券とセットになった「赤い睡蓮の海」日帰りツアーを2月中旬まで販売しています。
そのツアーの中で、このプープラバート歴史公園へもご案内しています。
=> 航空券付き日帰りツアー: http://tour.his-bkk.com/tour/j-fputh2019-askr
また、ウドンタニ空港発着プランもオンラインで販売しています。
=> ウドンタニ空港発着ツアー: https://activities.his-j.com/TourLeaf/UTH0001/