タイ中北部の町、ピサヌロークからサワディーカップ。
メオダムです。
メオダムは業務の守備範囲であるスコータイ遺跡には足しげく通っているのですが、昨日数カ月ぶりにスコータイ遺跡で日本人観光客にお会いしました。
もっとも、日本から来られた方ではなく、バンコクにお住いのようでしたけど、スコータイ遺跡にとても感動されてました。
特に今の季節、つまり雨期なんですけど、日本の梅雨空と違って、スコータイの空は「青空」なんです。
それも空を見上げると、「あ~、いま自分は宇宙を見上げているんだなぁ」って感じるほどクリアな青空です。
そんな青空には綿菓子のような白雲。
ラテライトやレンガの遺跡、芝や木々の緑、とっても美しい季節です。
特にバンコクから来られた方には、この自然が織りなす美しさといにしえ人が残した建造物、きっと思い出深いものとなったことでしょう。
さて、今日の本題は「タイ文字」です。
今年は日本での「タイフェスティバル」が中止になってしまったようですけど、毎年このイベントにはものすごくたくさんの来場者があると聞いています。
日本にはそれほど「タイ・マニア」の方がたくさんいらっしゃるのでしょう。
そして、コロナ以前は日本からたくさんの観光客がタイを訪れていました。
みなさん、それぞれに楽しまれたことと思いますが、、、しかし、バンコクなど大都会や、観光地以外で困るのは、ローカルは「タイ語オンリー」の世界だということ。
簡単な「サワディーカップ」「コープクンカップ」「タオライカップ」「ダイマイカップ」などいくつかのタイ語のフレーズと、タイ語での数字の数え方までタイ語をマスターすれば、旅行中の初歩的なタイ語での会話も成立するでしょう。
タイ語は、日本語のように複雑な文法や、用言の活用、敬語などほとんどありませんから、とても覚えやすい言葉だとメオダムは思っています。
しかし、「タイ文字」は、会話と比べてハードルがちょっと高いようです。
もちろん、日本の文字よりルールを知って、タイ語のボキャブラリが増えてくれば、なんとか理解できるようになるそうです。
メオダムはまだまだ文字に関して道半ば。
メオダムの現在のレベルは「タイ文字で書かれた料理のメニュー」が読めるといったところです。
上の写真はピサヌロークの大衆食堂の壁に張り出されたメニューです。
これが読めてくると、美味しいものにありつけやすくなります。
前置きが、長くなり過ぎましたが、昨日スコータイ歴史公園へ行って、ラムカムヘーンと言うスコータイ王朝三代目の王様の銅像がある場所にメオダムはおりました。
日本では「三代目には何とやら」で、せっかく初代が築き、二代目が発展させた家業を、三代目がタメにしてしまうなんてストーリーがありますが、ここの三代目は、違います。
ラムカムヘーン王は、スコータイ王朝三代目の王様にあって、スコータイを発展させた王様で、今でもタイ国民から尊敬を集めています。
スコータイの勢力圏も現在のタイの国と同じくらいに広げ、それまでインドシナ半島を支配していたクメール帝国の進んだ文化や技術を取り入れ、中国(元朝)からも陶器などの職人を招くなど、ラムカムヘーン王の業績で、スコータイの文化は花開き、ラムカムヘーン王は「タイ文化発祥の王様」と呼ばれています。
そうした輝かしい功績の中でも、特に光り輝いているのは「タイ文字の創設」です。
それまでスコータイのタイ人たちは、自分たちの文字を持っていませんでした。
そのため、口述以外に歴史や記録を残すことができませんでした。
しかし、ラムカムヘーン王がクメールの人たちの文字を参考にして、タイ人のための文字を考案したのです。
つまり、これがタイ文字の始まりでした。
時代は13世紀ですから、日本は鎌倉時代ですね。
ちなみに朝鮮半島でハングルが世宗王によって考案されたのが15世紀と言いますから、タイ文字はハングルより200年も前に使われ始めたんですね。
もっとも、「ひらがな」は奈良時代と言われますし、中国の漢字は紀元前ですから、タイ文字も比較されたら面白くないでしょう。
このタイ文字の完成で、タイの人たちは初めて自分たちの歴史を後世に伝えられるようになりました。
ラムカムヘーン王も、スコータイのありようを後世に伝えるために石碑にスコータイの様子を彫り残しました。
その石碑は、ラムカムヘーン王の生い立ちから始まっています。
- 父の名前はシーイントラディア(シーシントラティット)、母はスアン、兄はバーンムアン。
- 5人兄弟で、男が3人、女が2人、しかし一番上の兄は子供の時に死んでしまっている。
- 19歳の時に、ムアン・チョット(チョット郡)を統治するサムジョンがムアン・タク(タク郡)を攻撃した。
- 父は左翼側からサムジョンに戦いを挑み、サムジョンは右前方を突いた。
- サムジョンの攻勢で、父の兵は逃げ出した。
- 私は逃げず、ゾウに乗り、サムジョンのゾウと戦い、破った。
- サムジョンは逃げた。
- サムジョンのゾウと戦った父は私にプラ・ラムカムヘーンという名を付けてくれた。
ラムカムヘーンと言うのは、インドの叙事詩、ラーマヤナ物語に出てくる主人公「ラーマ王子」のように勇敢な男と言う意味があるそうです。
※メオダム註、メオダムの知る限りではラーマ王子は弓の名手らしいのですが、しかし物語で人気があるのはサル王ハヌマーンで、ラーマ王子はどちらかと言うと「ちょっと残念」なタイプに思えています。
そして、石碑の中には当時のスコータイの様子が克明に記されています。
「水に魚あり、田に米あり」と書かれており、スコータイはまさに瑞穂の国、とても豊かなところだったようです。
この「水に魚あり、田に米あり」と言う部分は、タイの小学校の国語の教科書にも載っていてタイ人ならだれでも知っていると聞きました。
しかし、それが碑文のどのあたりにあるか、メオダムまだ実際に確認していません。
ということで、今日はひとつ石碑で「田に米あり、水に魚あり」が書かれている部分探しをしてみることにしました。
大衆食堂のメニューを読むことができるレベルのメオダムが、13世紀の碑文と格闘すること、30秒で勝負がつきました。
ラムカムヘーン王が作ったというタイ文字は、現在のタイ文字とは全然違うんです。
言ってみれば、日本語検定3級レベルの外国人が、草書体で書かれた万葉集を読もうとするようなもの。
しかし、メオダムには強い味方がいます。
スコータイ県出身のスタッフで、スコータイ県の学校では、ラムカムヘーン王の時代のタイ文字を授業で教えているとか、、、。
博物館で入手した碑文の英訳を手掛かりに、石碑の文脈を追っていきます。
照りつける太陽に、首の後ろ、うなじの部分を焼かれながら、発見しました「水に魚あり、田に米あり」。
ナイ・ナーム:水の中に
ミー・プラー:魚あり
ナイ・ナー:田んぼの中に
ミー・カーウ:お米がある
現在のタイ語とは、文字の形が違うだけではなく、文字(母音字母)の配置場所や文字の綴りも違うようです。
この文字列は四角く4面のある石碑の西側の面、上から20行前後に2行に分かれてあります。
これからタイ文字に取り組もうと思われている方、ぜひスコータイへ来て、この石碑をよーく見てくださいね。
もっとも、この石碑はレプリカで、本物はバンコクの国立博物館にあります。
そして、ラムカムヘーン王はスコータイ王朝の三代目ではありますが、初代の王様シーイントラアティット王の息子ですから、三世代目ではありません。二代目は兄のバーンムアン王。
さらに、ラムカムヘーン王の息子の世代、つまり三世代目の王様、ルータイ王の治世では、スコータイに従属しない諸侯が続出し、スコータイの勢力圏がとても小さくなってしまってます。
タイでもやっぱり「三世代目はなんとやら」と言うのがあるのかもしれませんね。
ピサヌローク支店からのお知らせです。
バンコクとピサヌロークを結ぶLCC(格安航空会社)は8月に大幅なスケジュール変更をします。
特にノックエアー、エアアジアとも、朝のフライトがなくなってしまいます。
初便はノックエアーDD8404便、ドンムアン空港発09:55 ピサヌローク空港着11:00です。
エアーアジアのフライトは、2便ありますが、どちらも午後からの便となります。
ピサヌローク、スコータイ方面への「日帰りツアー」をご計画されている方は、ご注意ください。
9月からはノックエアーが増便されDD8400便、ドンムアン空港発06:30 ピサヌローク空港着07:35が設定されますので、ゆとりを持ったバンコクからの日帰りツアーをお楽しみいただけます。
ピサヌローク支店のウェブページ「メオダム・クラブ」ですが、Googleなどでの検索エンジンからのヒット率が上昇してきました。
"スコータイ、日帰りツアー"や"スコータイ 現地発オプショナル"などのキーワードで20位以内に表示されるようになってきました。
あ~、早くメジャーになりたい‼
皆さんもぜひ応援してください。
http://www.meodam.club/index.php
おねがいいたしますにゃー