サワッディーチャオ、チェンライ支店のソムです。
メーサロンについての記事を書いているところですが、今週はメーサロンからさらにミャンマー国境へ約20キロのヒンテークに行ってきました。ヒンテークは現在トゥーットタイと名称変更していますが、地元ではやはり旧名の「ヒンテーク/砕け石」と呼ばれています。旧名で呼ばれているのはメーサロンも同様です。ヒンテークとメーサロンはかつてのオピウムロードとして知られています。
ヒンテークといえば、まず思い浮かべるのはゴールデントライアングルの2代目麻薬王・クンサー(中国名 張奇夫)。世界的には「悪名高き」存在ですが、このヒンテークに来ると違った面が見えてきます。山深い盆地に車両通行可能な道路や水道設備などインフラを整備し、大同中学などの教育施設や医療設備を充実させ、人口2.2万人を超える町の基礎を気づいた人物、でもあるのです。
クンサーは「シャン族」独立を掲げ私設の軍隊を持っていましたが、そのタイ国内の基地がここヒンテークにありました。騎乗なのは、かつて山中には車の通行可能な道路がなく、荷物も人も馬に頼っていたからです。
「少年兵」という言葉は耳にしますが、写真をみると「兵」ではなく「子供」以外のなにものでもありませんね。
現在はクンサー博物館となっているこの基地跡には、ビルマ国軍との戦闘の痕跡が残っています。爆弾のかけらもそのひとつ。
これは1947年パンロン(ピンロン)会議の様子です。英領ビルマ全域を少数民族に自治権を持たせることを約したうえでいったんはビルマ連邦として独立する。独立後10年目以降から各少数民族自治区の連邦からの離脱権を認める条項を含むこの会議には、アウンサン将軍、シャン族はじめカチン族、チン族の代表が出席しています。前列緑の上着がアウンサン将軍です。
同年アウンサン将軍は暗殺され、各少数民族の独立は認められないまま現在に至っています。
博物館を見下ろす小高い丘の上には、塹壕の一部が残っています。
また懲罰房も埋められず、縁を補強して残されています。上から蛇や虫などを落とされたのでしょうか。おどろおどろしいですね。
ヒンテークを含むツアーはJ.トラベルbyHISで販売しています。暑い時期ですが、様々な野望と夢が駆け巡ったミャンマー国境の山を歩いてみませんか。ケシに代わる商品作物でもあるウーロン茶で一休みタイムもまた乙なものです。