サワディーにゃお!
先週末に一泊でチェンマイとの間を汽車旅してきました。
きょうは、チェンマイからピサヌロークまで汽車旅での旅情をお伝えします。
7月11日よりバンコクとチェンマイを結ぶタイ国鉄北本線は、コロナ感染拡大防止のため、ふたたび大幅な減便となりました。
チェンマイを発着する列車は、夜行列車が運休となり、昼の快速列車もバンコク到着時に夜間外出禁止時刻(21:00-04:00)に間に合わせるため、チェンマイ駅の出発時刻が午前5時台に繰り上がっています。
メオダムがチェンマイからピサヌロークまで乗ったのは、ピサヌロークより先にあるナコンサワン行きの鈍行列車で、こちらはバンコクに行かないローカル列車なので時刻の変更などなく、朝09:30発。
このオレンジ色の顔をしたのがこれから乗るディーゼルカーです。
ピサヌロークまでは約8時間の旅になります。
3両編成のディーゼルカーは1980年代に日本のメーカーがタイに輸出したもので、車内の構造は昔のディーゼルカーとよく似ています。
通路の上には吊皮がぶら下がり、対面式のボックスシート、エアコンがないので天井には扇風機が回っています。
座席の幅は少し狭いし、シートも硬めで、ひじ掛けはありません。
窓にはガラス窓の他に金属製の鎧戸が付いています。
強烈な太陽光線による日差しを遮り、風だけを通すような構造になっています。
コロナ以前からチェンマイを発着する鈍行列車はピサヌローク経由でナコンサワンとを往復するこの列車一本しか設定されていません。
でも、あんまり利用効率は高くないようで、車内はガラガラ。
靴を脱いで、前の座席に足を放り出してサバーイサバーイ(タイ語で快適)。
鈍行列車なので、小さな駅にも一つ一つ止まっていきます。
一日一往復の列車しか来ないのに、どの駅もほとんど駅員さんが何人かいて、駅をきれいに整備しています。
いくら物価や人件費の安いタイでも、これではタイ国鉄も赤字になるのは当然です。
でも、あんまり合理化しようとか合理化反対という話は聞こえてこないし、まったくのどかなものです。
それに、運賃ももう何十年も値上げされておらず、チェンマイからピサヌロークまで350キロ、ほぼ東京と名古屋くらいの距離があるのに、たった65バーツ(220円くらい)でしかありません。
チェンマイからピサヌロークまでは、山の中を走る区間が多く、雨期に入って木々の緑が鮮やかさを増して、とっても素敵な景色を車窓から楽しめます。
12月頃の乾季の時期は、南国のタイも気温が少しは涼しくなって、旅行シーズンとしてお勧めですが、エアコンのない鉄道旅だと、開け放たれた窓から埃が入り込んで、数時間も汽車に乗っていたら、シャツの襟は抹茶色、髪はバサバサと大変なことになってしまいます。
なので、メオダムは鉄道旅なら雨期をお勧めしています。
スコールが来たって、ヘッチャラだし、スコールの強い雨脚に打たれる椰子の木を車窓から眺めるのも風情があります。
チェンマイを出発しておよそ一時間、お隣りの県ランプーンに入り、チェンマイ盆地の外輪部に近づいてきます。
列車はその外輪部の山々を峠とトンネルで越えて、次のランパーン盆地へと走っていきます。
ランプーン県とランパーン県の境にはクンターントンネルというタイで一番長いトンネルがあります。
もともとトンネル自体が珍しいタイでは、このクンターントンネルも観光名所の一つになっています。
トンネルの手前に立っているポールは腕木式信号機と呼ばれるもので、日本でも昔は田舎の方のローカル線で使われていたものです。
ポールの上の方に、右に伸びて、先に赤い丸のついた枝のようなものがありますが、この枝の部分がポールに対して直角に、横へ伸びていたらストップ、斜め上に上がったら青信号です。
下に"45"と数字が書かれているのは制限速度です。
峠を越えた先はランパーンです。
ランパーンは100年ほど前までは、チェンマイを中心とするランナー王国に属する一侯国でした。
このランパーンから北へ進むと、チェンライを通ってミャンマーのシャン州へと続いています。
現在でも交通の要衝となっており、バンコクから北へ進んできた国道1号線は、ランパーンからチェンライそしてミャンマー国境のメーサイへと向かいます。
タイ第二の都市であるチェンマイへはランパーンで国道1号線から分岐する国道11号線が通しています。
ガソリンなどの石油製品は、シャム湾臨海部で精製され、タンク車(貨車の一種)を使って鉄道輸送されます。
そして、ランパーンで自動車(タンクローリー)に積み替えられて、チェンライ方向へ運ばれていくので、ランパーンの駅構内にはたくさんの石油を運ぶタンク車が見られます。
そんなランパーン駅構内に、小さなディーゼル機関車がありました。
たぶん現存するタイ国鉄のディーゼル機関車では最古のダベンポートというアメリカのメーカーが70年ほど前に製造した機関車です。
この機関車がタイへやってきたころは、まだタイの鉄道は蒸気機関車の時代でしたので、この機関車のブレーキ・システムは、当時のタイの蒸気機関車の仕様に合わせた真空ブレーキが装備されています。
しかし、すでに蒸気機関車の時代は終わり、鉄道ブレーキもエアブレーキを使うようになっているので、この機関車はもう本線上で貨物列車を引いて活躍することはできないでしょう。
最後の仕事場として、こんな駅構内でタンク車の入れ替え作業をしているのだと思います。
また、この機関車の後ろに見える薄いオレンジ色をした建物は、扇形車庫と言う施設で、これも蒸気機関車時代の施設です。
扇形の車庫がターンテーブルという蒸気機関車を載せて方向転換する丸い円盤の周りを取り囲むような構造になっています。
ランパーンからしばらく走った小さな駅、メータ駅でナコンサワンから走ってきた下り列車とすれ違います。
メオダムの乗っている上り列車はチェンマイからピサヌロークまで8時間もかかります。
一方、逆向きの下り列車はピサヌロークとチェンマイを7時間で結んでしまいます。
1時間も差が出るのはなぜだろうと思っていたのですが、上り列車は各駅での停車時間が長いことに気が付きました。
たぶん、バンコクから夜通し走ってきた夜行列車との交換待ち合わせのための時間が取られているためなんだろうと思います。
でも、今日から夜行列車が走らなくなったと言っても、やっぱり決められた時刻表通りに走っているのは律儀な鉄等と言う因果でしょうか。
ランパーンから先にも峠があり、峠を超えるとヨム川の渓谷に沿って走ります。
渓谷と言うと、清流のようなイメージを持ってしまいますが、ここの渓流は茶色い濁流です。
ヨム川はパヤオ県のラオス国境周辺を源流として、プレー県からスコータイ県へと流れていきます。
スコータイ県でユネスコの世界遺産にも登録されているスコータイ遺跡のひとつ、シーサッチャナライ遺跡は、このヨム川のほとりに位置しています。
スコータイ王朝が消滅した後、アユタヤ時代もシーサッチャナライは交易都市として栄えていたそうです。
ヨム川を使ってアユタヤへつながり、さらに川沿いにさかのぼれば、中世の道は中国へと続いていたと言われています。
プレー県内の小さな盆地にあるデンチャイ駅を過ぎるとまた峠です。
峠には二つの短いトンネルがあるのですが、そのトンネルとトンネルの間に、こじんまりとした山間集落が見えてきます。
バナナの畑や椰子の木、緑色をした圧倒的な自然の力の中に埋もれるように点在するトタン屋根の木造家屋。
集落のすぐ近くを線路があるのに、近くに駅すらありません。
それでも、とても平和そうな集落に見えて、メオダムはこの路線の列車に乗るたびに、この車窓からの景色を楽しみにしています。
この集落を過ぎてしばらく走ると、ウタラディト県の平野に出ます。
ずっと山の中ばかりを走ってきましたが、もう山は車窓からどんどんと遠ざかっていきます。
水田の緑も広くそして鮮やかさを増してきます。
遠ざかっていく緑だった山は、次第に群青色から墨色へと変わっていきます。
ウタラディト県庁のあるウタラディト駅手前にあるシラアット駅は、このあたりの鉄道関連施設の中心地になっていたようで、構内にはたくさんの線路が敷かれています。
昔はここで機関車の付け替えなどもしていたのでしょう。
シラアット駅では、構内の外れにある給油施設に立ち寄っていました。
チェンマイから延々と山の中をエンジンとどろかせながら走ってきたので、燃料タンクもだいぶ減っていたのでしょう。
ガソリンスタンドのホースより倍くらい太いホースで軽油を入れていきます。
3両編成なので、一両ずつ3回の給油です。
ウタラディトを過ぎると、もう山は見えません。
ここからバンコク、そしてシャム湾まで約400キロもの間に、山はもうないのです。
シャム平原に入って、エンジンの音も軽やかになったようだし、スピードも速くなりました。
ピサヌロークが近づくとともに、そらに雨雲が広がってきました。
どうやらスコールになりそうです。
窓から吹き込む風にも、雨の臭いが混じっています。
やがて、打ち付けるような雨になり、しかし雨など関係ないとばかりに、景色はどんどんと流れていきます。
夕方、5時半少し前、無事にピサヌロークに到着。
ピサヌロークは雨雲の外側にあったのか、雨など全然降っていませんでした。
8時間の汽車旅、如何でしたか?
こんな汽車旅もタイならではだと思います。
ピサヌロークとチェンマイの間は、景色もいいので、コロナの移動制限が明けたら、ぜひ挑戦してみてください。
今回は紹介してませんが、車内では沿線の味覚をはじめとして、色々な食べ物も売りに来ています。