サワディーにゃお!
ピサヌローク支店のメオダムです。
昨日8月12日、タイでは「母の日」でした。
先代の国王ラーマ9世妃の誕生日ということで母の日となっています。
二年前までなら、レストランとかでお母さんを囲んで家族が幸せそうにパーティーをしている姿があちこちで見られましたが、昨年からのコロナで外食は禁止され、家の中でも会食は自粛が求められてます。
「さびしい」ですね。
で、今日は二年前、2019年の8月12日を回想してみることにしました。
この日、メオダムは日本からピサヌロークへパッケージツアー「Ciao」でいらしたお客様に同行してました。
お客様は30歳前後の若い男性二人です。
前日にピサヌロークへ入られて一泊されています。
8月12日のツアー行程はハードスケジュールです。
朝06:30にピサヌローク市内のトップランドホテルを出発して、スコータイ遺跡見物とカオコー観光をこなして、夜中の寝台列車でバンコクへ向かうというものです。
こんなハードな弾丸ツアーですが、ブログを読んで旅していただく分には、体力に自信がなくても大丈夫です。
ピサヌロークからスコータイへ向かって国道12号線を西に向かいます。
この国道12号線はインドシナ東西経済回廊とも呼ばれている国際ハイウェイです。
起点はベトナムのダナン港で、安南山脈を越えてラオスに入り、メコン川を渡ってからはタイの大地を横断していきます。イサーン、コンケン、ピサヌローク、スコータイ、タークと走り抜けるとミャンマーとの国境で、港町モールミャイン、古都バゴーを経てヤンゴンに至ることができます。
2019年時点なら、コロナもありませんでしたので、パスポートさえあれば、国境を自由に越えることができたのですが、今はご存じのとおり、どこの国もコロナで鎖国状態。
さらにミャンマーに至っては、軍のクーデターまであって、以前のような平和がずっと遠くへ行ってしまいました。
ピサヌロークを出て、30分ほどでスコータイ県への県境を越えます。
このあたりは稲作を中心とした田園風景が広がっているのですが、道沿いには水牛を飼っている農家も見られます。
むかしのタイなら、どこへ行っても水牛の姿が見られたそうです。
水牛は農家の人たちとともにあって、田畑を耕し、収穫物を運んでいました。
しかし、現在は日本製の耕運機などが普及して、水牛たちの活躍する場所が減ってきてしまいました。
このハイウェイ沿いでも水牛の姿を来られるのは、スコータイ県境の農家くらいになっています。
午前8時にはスコータイ歴史公園に到着。
スコータイは13世紀から15世紀にかけて栄えたタイ族最初の王国です。
時代は日本の鎌倉時代と重なります。
スコータイはスリランカから上座部仏教を取り入れ、仏教を中心とした国づくりを行い、芸術文化面でも現在のタイ文化の基礎を築きあげています。
スコータイ周辺には当時の石造寺院建築を中心にたくさんの遺跡が残り、その王都であった中心部は近年歴史公園として整備されて、ユネスコの世界遺産にも指定されています。
広い歴史公園内には自動車の乗り入れが禁止されており、電動カートやレンタサイクルで回ることができます。
まだ朝早い時刻ですので、レンタサイクルで遺跡巡りをしましょう。
歴史公園入口周辺には何軒ものレンタサイクルショップが並んでいます。
タイ国産の新車以外に、日本の中古ママチャリなどもありますし、二人でこげるタイプの自転車もあります。
このレンタサイクルショップには、何匹かのネコがいます。
タイは飼い猫、野良猫ふくめてネコの多い土地ですが、スコータイ遺跡でもよくネコの姿を見かけます。
そういえばメオダムの記憶でも、タイ以外でも世界各国の遺跡のある場所にはネコが住み着いているケースが多かったような気がします。
でも、日本はどうだったのかなぁ?
歴史公園の内部は、木々や芝生の緑に、レンガやラテライトと呼ばれる赤っぽい石でできた建造物、鮮やかな原色による色彩が多いタイの風物と比較すると、しっとりとした落ち着きを感じさせます。
スコータイ時代にはタイ文字が考案され、多くの碑文が後世に残されています。
その碑文によれば、当時の寺院は黄金色をしていたそうで、現在遺跡として見せてくれるイメージとは異なり、そうとう華やかだ多様です。
この歴史公園周辺だけで200か所以上の遺跡が残っているそうです。
しかも、スコータイ時代の200年間にこれらの建造物が作られたとすると、当時のスコータイは至るところで建築ラッシュになっていたことでしょう。
大きな石材を運んだのは、人の力だったのでしょうか、それともゾウを使ったのでしょうか?
中世ヨーロッパの尖塔を彷彿とさせる建造物は、仏舎利塔です。
このデザインはスコータイ時代に考案されたもので、現在はスコータイ周辺でしか見ることのできないデザインです。
点に伸びている塔は、蓮のつぼみをイメージしているとされています。
仏舎利塔に向かって、大きな石柱が並んでいます。
この石柱はラテライトという石を積み重ねた構造で、上へ行くほど柱は細くなっています。
かつてここは寺院の礼拝堂となっており、石柱が梁を支え、巨大な屋根をいただいていました。
しかし、数百年と言う年月と、自然環境によって、木造部分は朽ち果て、崩壊し、現在は石柱だけが並ぶ姿を見せています。
スコータイ時代当時、周辺には異民族による高度な文明国家がありました。
スコータイのすぐ北側には、モン族によるハリプンチャイ王国が栄えており、南にはドヴァーラヴァティー王国、さらにアンコールワットを中心としたクメール帝国などです。
スコータイの都も、タイ族が王国を築き上げる以前は、クメール帝国の地方都市のひとつでした。
ヒンズー教を中心としたクメールの人たちは、ヒンズー寺院を建立し、ヒンズーの神々を祭っていましたが、スコータイ王朝によるタイ族の統治下に入ってからは、ヒンズー寺院は仏教寺院に改修され、それまでのシヴァ神を中心としたヒンズーの神々はお釈迦様の守り神として位置づけられ、仏教寺院となっても、寺院にレリーフとして残っています。
スコータイはクメール帝国から当時の先進的な文化を学び、自分たちの文化の中に取り入れていきました。
クメール帝国は治水・水利事業に関して、とても高度な技術を持っており、そのクメール文化から学んだスコータイは、都の西側に並ぶ山にダムを建設し、中国の製陶技術を学んで、陶器によると土管を作り、都へ水道を引いています。
もともと周辺にほとんど河川のないスコータイでしたが、ダムやため池による灌漑で、周辺では稲作も盛んにおこなわれ、800年前に作られた碑文には「水に魚あり、田に米あり」と彫り込まれています。
歴史公園内の寺院遺跡周辺も多くの掘割があり、この季節にはピンク色の水連が朝早い時間に開花して、目を楽しませてくれます。
スコータイ歴史公園を2時間ほど見学してお昼にはピサヌロークへ戻ります。
ピサヌロークで召し上がっていただくメニューは、超特盛タイラーメンです。
洗面器よりも大きな丼に、具材がこれでもかってくらいに入っています。
麺はさらに別盛りとなっていて、通常の6人前くらいのボリュームだそうです。
タイの人たちも麺類は大好きで、米で作ったヌードルがクイッティアオと呼ばれています。
極細から名古屋のきしめんもびっくりするくらい幅広の太麺まであります。
またラーメンとよく似た小麦粉で作ったものがバミーと呼ばれています。
スープは米のクイッティアオも小麦粉のバミーも、どちらも共通のようで、その点で日本の「うどん・そば」と「ラーメン」のスープがまったく別物なのとは異なっています。
若い男性のお客様には、この超特盛タイラーメンをお二人で挑戦していただき、見事に完食していただきました。
メオダムは「賄い」として、イカのカレー炒めを食べさせてもらいました。
タイ語で「プラームック・パッポン・カリー」と言います。
バンコクを旅行される観光客に人気のソンブーンのカニカレーは「プー・パッポン・カリー」で、賄いのイカ・バージョンと違って、華やかさがありますが、ここのイカ・カレーだって、バナナの葉っぱの上に、ライスとともに盛り付けてあって、タイらしい野趣味があります。
さて、午後からは国道12号線を東に走り、ペッチャブーン県に入ったところのカオコーを見学です。
標高800メートルほどのカオコー高原は、雲海の名所として人気があり、タイの人たちは「タイのスイス」などと呼んだりしています。
そんなカオコーで一番人気は、ワットパーソンゲーオと呼ばれる寺院です。
午前中に800年前の寺院遺跡を見学しましたが、カオコーの寺院は、最新の寺院で、20年位前から建設がはじまり、最近ほぼ完成したばかりと言うお寺です。
もともとタイの寺院は金色、オレンジ色、緑色などと色鮮やかなのですが、ここの寺院の仏塔は、タイ王室に伝わる陶器ベンジャロンを外壁に埋め込むなどして、さらに色彩豊かです。
色だけではなく、埋め込まれたベンジャロンなどの陶器やタイルなどは、宇宙空間をイメージして配置されています。
巨大であり迫力もある建造物ではありますが、多彩な色がちりばめられている割に、色彩的に派手な印象は抑えられています。
この寺院はもともと信者さんが瞑想を通じて修行を行う場所としての性格を持っているためか、全体としてのイメージは、むしろ使われている色の多彩さとは反対に、静謐ささえ感じさせます。
巨大な五連仏は純白で、銀やクリスタルが随所に使われています。
五体の大仏は、悟りを開く仏陀をイメージしており、タイの仏教では悟りを開くことができる仏陀は五人いて、釈迦は四人目。
そして、将来また悟りを開く五人目の仏陀が表れて救世してくれると考えられています。
雨季のこの時期、空には雲も多いのですが、ところどころの雲の切れ目から青空ものぞいてます。
ワットパーソンゲーオからさらに山を登ったところにインスタスポットとして人気の高いピノラテ・カフェがあります。
ここのテラスからはカオコーの景色が一望できることと、花壇に一年中色鮮やかな花が咲いていることで、いつもたくさんの観光客を引き寄せています。
タイの人たちは写真が大好きです。
カフェのテラスでは、あちこちで写真を撮り合いする光景が見られます。
このカフェには二匹のネコが住み着いています。
一匹は茶色いネコで名前をラテといいます。
そしてもう一匹は、写真に写っている黒ネコのアメーです。
悠然と寝ているアメーですが、アメーと言うのはタイの人たちはコーヒーのアメリカンのことをアメリカーノーと呼んでいて、そのアメリカーノーを縮めてアメーと呼ばれているのだとか。
茶ネコのラテも、カフェラテからの命名です。
なお、このアメーですが、昨年交通事故にあい、大けがをして歩けなくなってしまったそうです。
現在はカフェの従業員の家で、介護を受けながら暮らしているそうです。
また、超巨大盛りタイラーメンも、現在はメニューからなくなってしまってます。
それでも、事前に予約をすれば特別に用意をしてくれるそうです。
早くコロナが収束して、日本からのお客様を受け入れて、また以前のようにこんな弾丸ツアーを再開したいものです。
この日、夕方にはピサヌロークの街へ戻り、お客様はその晩の夜汽車でバンコクへ向かわれました。
若い人向けの体力勝負のツアーですが、過去には70歳代のご夫妻にもご参加いただいております。