サワディーにゃお!
ピサヌローク支店のメオダムです。
メオダムもピサヌロークに住み着いて3年になります。
毎日が職場と下宿の往復ばかりで、じっくりと腰を落ち着けて、この街のことを調べたりすることが今までありませんでした。
仕事柄、スコータイ時代やアユタヤ時代のピサヌロークについては色々と調べてきていましたが、ピサヌロークの近代史的な部分はさっぱりでした。
でも、昼ごはん時とか、街の中を歩いていて、「あれなんだろう?」と気になることは色々とあります。
ピサヌロークの中心部を歩いていると、建物によく鳳凰のようなマークが付いているのに気が付きました。
鳳凰の下にはタイ語で"อาคารราชพัสดุ"と書かれています。
อาคารราชพัสดุとはアーカーン・ラーチャ・パッサドゥと発音し、「タイ王室に属する建物」と言った意味です。
鳳凰のマークはタイの王室系銀行であるクルンタイ銀行とよく似ています。
で、このマークの付いた建物がピサヌローク中心部にはやたらに多いんです。
メオダムは地元のタイ人に、このマークはなんなのか質問してみました。
「これは土地のオーナーが、王室に土地を寄付して、その土地に王室が建物を建てて、もともとのオーナーに建物の借用権を与えたものだよ」
というのが答えでした。
土地はあっても、建物を建てるお金がなくて、王室に建ててもらうってことはなんとなく理解できるのですが、それにしても市内の一等地に、こんなにもたくさんあることにメオダムはどうも納得がいきません。
それで、ちょっと調べ始めました。
まず、このマークの付いている建物に共通していることとして、どの建物もかなり年季が入っていること。
コンクリート製で2~3階建てになっていて、一階は通りに面して店舗のようになっていること。
長屋のように隣同士が壁一枚で隔てられたタウンハウスになっていること。
軒の庇が歩道の上にせり出していて、その庇には電線ケーブルが敷設されていること。
ヒントとして、どの建物も一様に年季が入っていることに注目。
つまり、ほぼ同じころ、いっせいにこれらの建物が建築されたと考えられます。
ピサヌロークの街はいまから64年前、1957年に大火災によって町の中心部のほとんどを焼失してしまっています。
古い写真を転用させていただいたAdd News Phitsanulok社の記事によると、1957年1月2日に仕立て屋の4歳になる息子が、マッチで火遊びをしたことで火事になり、当時は木造の建物が密集していたことで瞬く間に、市街地全体に燃え広がったのだそうです。
焼け出された人は6000人にも上ったそうです。
家と家財を失った人は、学校などでの避難生活をすることになったそうです。
つまり、鳳凰マークを付け年季の入った建物群は、この大火災からの復興過程で建築されたものと推測しました。
メオダムはさらに調べていくと、焼け出された人たちは、家屋を再建する財力も失っており、また行政側も、木造家屋が密集した以前のような状態から、区画整理をし、防災面でも考慮された街づくりを指導したくても、財政的に無理があったそうです。
そこで、土地の所有者は家屋が焼けてしまった土地を王室に献上し、その代わり新しい建物を建ててもらって、そこで生活を始めるということになったそうです。
タイ国王は街の再建のために10万バーツを下賜されたのだそうです。
そのときに建てられた建物に、このマークが付けられたということでした。
メオダムのいるH.I.S.ピサヌローク支店のすぐ近くに時計塔が立っているのですが、この時計塔も大火災からの復興のシンボルとして建てられたものだそうです。
なお、火元となった仕立て屋があった場所は、エカトサロット通りのソイ・モーシリワンというところだったようです。
このソイ・モーシリワンと言うのは、行き止まりの路地なのですが、確認に行ってみたらなんと寿司屋がありました。
店名は「和らぐ(やわらぐ)スシ・バー」で、秋田の銘酒「高清水」と書かれた提灯がぶら下がっている隠れ家みたいな店でした。
"Omakase Bento"とも書かれています。
「よし、今日のランチはここの弁当でも食べてみるか」と軽く考えたのですが、お値段はなんと1,499バーツ也。
すごすごと退散です。
ピサヌロークにこんなに値段の高い食堂があったなんて、3年目にして初めて知りました。
「和らぐ(やわらぐ)スシ・バー」のFace Book
https://www.facebook.com/Yawaragu-sushi-bar-652271805221602