サワディーにゃお!
ピサヌローク支店のメオダムです。
早いものでもう10月になりましたね。
実は以前にタイ文化省芸術局が9月中にシーテープ歴史公園をユネスコ世界遺産に推薦するとのニュースを目にしていましたが、その後その推薦がどうなったのか後追い記事が見つけられないままに9月も終わり、10月になってしまいました。
このシーテープ歴史公園が世界遺産に登録されたらば、メオダムのピサヌローク支店エリアでスコータイ歴史公園に続く二つ目の世界文化遺産となると期待していたんですが、よく考えたらもう二年以上も前から、世界遺産に推薦するとかの報道がときどき出ているようなので、先の長い話なのかもしれません。
シーテープ歴史公園の場所は、ピサヌローク県の東隣りベッチャブーン県の南部にあります。
タイ族により最初の王朝、スコータイ王朝成立以前、6~11世紀ころ栄えていたドヴァーラヴァティー王国の重要な都市の遺跡であると考えられています。
ドヴァーラヴァティー王国と言うのは、インドシナ半島の先住民族モン族の国で、宗教は仏教を中心としていましたが、その後に勢力を拡大してきたクメール帝国(都はアンコールワット)の影響を受けて、宗教や建造物もヒンズー色が強くなっています。
当時の街の大きさは、二重に囲んだ城壁の遺構から推測でき、4.7平方キロに及んだと考えられます。だいたい東京ドーム10個分のサイズです。
この内部には48もの仏教またはヒンズー教の寺院があったとされ、それらを修復された遺跡として見学することができます。
歴史公園の中心となる遺跡はプランソーンピーノーンというヒンズー教の寺院遺跡です。
メオダムが訪れたことのあるヒンズー教の遺跡はだいたいが東向きか南向きなのですが、このプランソーンピーノーンは珍しく西向きになっています。
そういえばピサヌロークのワットヤイ(ワットプラシーラタナマハタート:タイで最も美しいとされる仏像を安置)も西を向いています。
メオダムが想像するにワットヤイはスコータイ時代にリタイ王によって建立され、都であるスコータイの方角(西)を正面にしたのではないかと考えています。
同じ推理をすると、このプランソーンピーノーンの西側になにか重要な場所があったことになるかもしれないのですが、当時ラヴォーという都市がモン族の人たちの都で、その場所がどこであったか、いまだに謎とされてますが、たぶん現在のロッブリー周辺ではないかと言われています。
現在のロッブリーは、アユタヤの北50kmほど、シーテープ歴史公園から見ると南西に位置しています。
プラーンソーンピーノーンと言うのはタイ語で、プラーンはクメール風の塔のこと、ソーンピーノーンは「二人兄弟」という意味です。
主塔の右側に小さい塔が崩れかけて残っていますから、主塔が兄で、右が弟なのかもしれませんね。
土台部分はラテライト石を使ってあり、建物の表面はレンガで組まれています。
そして、塔の入り口部分の枠には砂岩が使われています。
たぶんトウモロコシのような形状のクメール式の塔であったようですが、トウモロコシ部分は既に崩れてしまっています。
ヒンズ教の仏塔では、単独の一基だけがそびえるものと、3基が横並びになったもの、四隅の塔が中央塔を取り囲むタイプなどをよく見かけますが、このように2基しかないものは珍しいのではないでしょうか?
もともとは左側にも小さな仏塔があったのかもしれません。
右側の小さいほうの入り口にはクメール建築独特のまぐさ石が残っています。
レリーフ部分があんまりに鮮明なので、たぶんかなりの補修が施されていると考えられるのですが、まぐさ石を見るとクメールの遺跡であることの実感がわいてきます。
レリーフの中心部を拡大して見てみましょう。
一番下の部分には多頭のヘビ、ナーガに両脇を囲まれたカーラの顔が見えます。
その両手は二匹のナーガをしっかりと握っています。
カーラはとんでもない食いしん坊だそうですから、このナーガも食べようとしているのかもしれませんね。
そらにその上に彫られているのは牛の背に乗ったシヴァ神です。
シヴァ神はヒンズーの神様の中では破壊の神とされ、人々から畏怖されていますが、クメール時代ではもっとも信奉されていた神様でもあります。
そのシヴァ神が抱えるようにしているのが、愛妻のウマ(パールヴァディー)でしょう。
ウマはとても美しい女神とされていますが、一方ではとても凶暴な神様だとも言われています。
この大きなまぐさ石は、地面に置かれたままで、本来の塔入口に取り付けられていません。
中央部分の摩滅損傷が激しくて、どんな神様のどんな格好を彫ったものなのかよくわかりません。
よく見ると、腰をくねらせた獅子のような像や手を上にあげた人らしき姿が見えるようです。
これは仏教の法輪で、修復はされてますがほぼ完全な姿を見せてくれています。
この遺跡はクメールのヒンズー教以外にも仏教の遺物も出土するのですね。
このように身近で見たり触ったりできるのはありがたいのですが、風雨さらされたりして、破損してしまわないか気になるところでもあります。
この割れているのは砂岩でできた蓮の花の台座と思われます。
スコータイ遺跡の仏像も蓮の花の上に乗られているので、メオダムはこれも仏教関係の遺物なのかと思ったのですが、ヒンズー教でも蓮の花は神聖なものとして、ヒンズーの神様たちの土台にされたりもしているそうです。
右手で三日月状に立っている石は、クメール式の塔、トウモロコシでいうと実にあたるウロコみたいな部分ではないかと思います。
これらの展示物も説明表示がないのでよく分からなかったりするのですが、想像を働かせながら見て回るのもなかなか面白いです。
巨大なレンガ造りの構造物が見えます。
崩れ方がひどくて、ただのピラミッドのようなものだったのか、塔を構成していたのかよくわかりません。
シーサッチャナライにあるワットプラシーラタナマハタート・チャリアン(プラプラーン)にある崩壊したレンガによるモン族の仏塔になんとなく似ていますので、これは仏教の仏塔だったのかもしれません。
その一部に屋根がかかっており、この屋根の下にはスコータイ遺跡でよく目にする漆喰によるレリーフが見られました。
台座を背負うような形になっているレリーフは阿修羅でしょうか?
鬼のように力の強い阿修羅は悪さもしますが、仏様の守り神にもなっています。レリーフの阿修羅はそれぞれ顔の表情が異なっています。
同じような構図は、スコータイ遺跡のワットマハタート南側仏塔の基台部分でも見られます。
シーテープ歴史公園周辺にも古い時代の遺跡は点在しており、この木立の中のこの塔はプラーンルシーと言い、仙人の塔と言う意味で、シーテープ歴史公園の外、北側に数キロ離れたところにあります。
この塔はレンガでできているようですが、少し傾いているように感じませんか?
裏側へ回ってみると、少しどころか相当に傾いていて、つっかえ棒をしてかろうじて立っていることがわかります。
遺跡として修復もされているのですが、スコータイ歴史公園などと比べると、予算があまり振り向けられていないのか、修復もまだまだといった感じもします。
しかし、あんまり修復しすぎてしまうのも遺跡としての面白さ、無常さが薄れてしまう気もします。
タイ文化省芸術局がユネスコに世界遺産として推薦し、登録されるようなことになると、たぶんもっと修復作業が行われることでしょう。
そうなる前に、シーテープの遺跡がどんな状態だったかを見ておくのも良いかもしれません。
最後に、これはプラーン・シーテープというクメール様式の塔です。
この歴史公園の名前を持った塔ですが、入り口部分は材木で補強され、塔上部の崩れかけたレンガ積み部分には雑草が生い茂っています。
決して保存状態としては良いものではありませんが、こうした姿が遺跡としての本来の姿に近いのではないかと思います。
ちょっと交通の便が悪くて、行きにくいところですが、H.I.S.ピサヌローク支店にご相談いただければ、ご案内いたします。