先日、家賃を銀行に振り込みに行きましたが、銀行が閉まっておりました。平日なのにおかしいなと思い、銀行の前でたたずんでいると、見知らぬメキシコ人のおばさんが「今日は何処の銀行も開いてないよ。私たちはお国柄、敬謙なカトリック教徒だから。こういった特別な日には休むのよ。」言われました。
今日は何の日だっけ。。。12月12日。。。そうか、聖母グアダルーペの日だ。忘れてた。
ということで、皆さん「聖母グアダルーペ」ってご存知ですか。
あまり知られてはいませんが、メキシコの先住民の方たちに広く受け入れられてきた聖母様です。
聖母様というとマリア様ですが、先住民の方たちには彼らと人種の違う白人で金髪の聖母様はあまり受け入れられず、自分達に良く似た黒髪で褐色の肌を持つ聖母グアダルーペ様を信仰するようになりました。
この聖母グアダルーペ誕生には伝説があり、ローマカトリック教会から認められたカトリック三大奇跡の内の一つにあげられています。
その伝説とは。
時は1531年12月9日。
改宗先住民フアンディエゴがテペヤックの丘を散歩していたところ、彼の目の前に、光に包まれた輝く女性の像が浮かび上がりました。
その女性が、彼にお告げをしました。「私はこの地を守る聖母です。この地に教会を造りなさい。」
そのお告げを聞いたフアンディエゴはすぐさま町の司祭様のもとに行き、聖母に会ったことと、お告げがあった事を伝えましたが、司祭様は全く彼の言う事を信じてくれませんでした。フアンディエゴは再びテペヤックの丘に聖母様に会いに行きました。フアンディエゴが聖母様に、司祭様が信じてくれないことを伝え、「私には無理なので、誰か他の人に頼んで下さい。」と願い出たのですが、聖母は「是はあなたにしかできないことです。」と伝え、翌日もう一度司祭様に話をする約束をしました。
次の日、フアンディエゴは司祭様に会い、切実に話をするのですがどうしても信じてくれません。しかし、司祭様はフアンディエゴに言いました。
「その話を信じる為には何か証拠が要る。その証拠をお持ちなさい。」
「分かりました。では、一体何をもってっくればいいのですか。」とフアンディエゴが問うと、
「それは聖母様が知っておられます。」と司祭様が仰られました。
再びフアンディエゴは聖母様に会いに行き、司祭様が証拠を必要としている事を伝えると、聖母様が「ではその証拠を明日用意しましょう。」といわれました。
その日、フアンディエゴが家に帰ると、病気がちだった彼の叔父の容態が悪化しておりました。
次の日、12月12日、フアンディエゴは叔父の臨終に備えて、司祭様を呼びに行こうと決心し、聖母様に会うのを避けて行こうとしたのですが、聖母様が彼の前再び現れました。
「あなたの叔父なら大丈夫です。それよりも、テペヤックの丘に登りなさい。そこに花が咲いています、その花を証拠に司祭様にお見せなさい。」と告げられました。
そのお告げの通りにフアンディエゴは丘に咲く花を探しに行きました。
12月の寒い時期に花が咲いているはずがないのですが、テペヤックの丘に、色とりどりの綺麗なバラの花が咲いていました。
その花をフアンディエゴが身に着けていたティルマという先住民の方たちが利用していたマントにくるみ、司祭様のもとに届けました。
フアンディエゴが、「ここに証拠をお持ちしました。」と司祭様に、マントを広げてバラの花を見せたところ、零れ落ちるバラの花の間から、フアンディエゴの身に着けていたマントに聖母様の像が浮かび上がったという。
それを見た司祭様は、その奇跡を信じ、テペヤックの丘に教会を立てました。
その間に聖母様は彼の叔父の前にも現れ、彼の病気を治し、お告げをしました。
「私はこの地を守る聖母です。私の事をグアダルーペと呼びなさい。」
という伝説です。(長かった。。。皆さん理解していただけたでしょうか?)
1531年12月12日が聖母グアダルーペ誕生の日です。そして、テペヤックの丘に教会が建てられました。
1709年にテペヤックの丘のふもとに新しい礼拝堂が建てられましたが、今では地盤沈下のために非常に傾いております。いつ崩れてもおかしくない状態なので、
1976年にその傾いた礼拝堂の横に、近代的な建物の教会が建てられました。
今でも、多くの信者が日々参拝しておられます。
そして、ナ ナ なんと、フアンディエゴが身に着けていたマント、聖母様が現れた「奇跡のマント」は今でも実存し、新しい教会の中に飾られております。
カトリック教徒だけではなく、その奇跡を目の当たりにしようと、多くの観光客がそのマントを見学に来ております。
ローマカトリック教会が認めた奇跡ということですが、その奇跡が単なる噂話ではなく本当のことであると認める為に、そのマントを科学的に検証しているそうです。
その結果、ナ な ナ NA なな ななな(しつこい) なんと、
・この地球上に存在しない、何か分からない顔料が使われている。
・グアダルーペ様のうっすらと開けた瞳を拡大すると、フアンディエゴと司祭様とその二人を通訳する人の姿が映っている。
・粗い目の布なのに、裏には顔料が染み出していない。
・通常は20年も経てばボロボロになるが、500年経った今もマントは健在。
ということが分かったそうです。
奇跡ですね~。
実際のところ、
・そもそも、グアダルーペとは、スペインのエストレマドゥーラ地方の街の名前で、そこの教会に褐色のマリア像があり、褐色のマリア=聖母グアダルーペとして有名になったのだそうです。
・侵略の歴史の中、先住民にキリスト教の布教の手段として、カトリックと地元の宗教を融合させたもの。もともと、テペヤックの丘には「トナンツィン」という先住民たちの地母神が祭られていたため、初めの頃は、グアダルーペ様は先住民からは「トナンツィン」と呼ばれていたそうです。
・しったかぶって色々書きましたが、今「グアダルーペ」という映画が公開されており、その中でグアダルーペ誕生伝説が分かりやすいように紹介されてます。その映画の通りにかきました。皆さんも興味があれば見てみて下さい。映画としては全然だけど、なるほどなと納得できる映画です。
S⇒N
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